自己肯定
禅の修行というのは、自己肯定どころか、自己否定の連続なので、私などはそういうことなのかと思っているところ、五月十六日の毎日新聞日曜くらぶに、心療内科医の海原純子先生が、「新・心のサプリ」に「女性の貧困」背景に格差」という一文を読みました。
「非正規雇用で働く女性は多い。最新版の国民生活基礎調査によると女性就業者の56.4%は非正規労働者であり、男性の22.3%より格段に多い。」というのです。
また男女の賃金の差も大きいのだそうです。
入社時点で女性は、男性の賃金の86%であり、勤続年数が長くなるにつれて格差は大きくなるというのです。
賃金は、男性に比べて増えず。昇進の機会も少ないということです。
そこで海原先生は、
「非正規雇用で働く他に選択技がない女性が離婚し、コロナ禍で職を失えば途端に貧困に直面する。
正規雇用でも女性が経済的に自立するのは男性より苦労が多い。
女性の貧困はその背景に男女の格差の問題が潜んでいる。
そして今私が懸念しているのは貧困に直面した女性たちの自己肯定感だ。
食料を得られず生理用品も買えないという状況はどんなに自己肯定感を喪失させるだろう。
これまで非正規の雇用で一生懸命生きてきた女性たちの生活と自己肯定感をなんとしても取り戻さなければならないと思う。」
と訴えられているのであります。
こういう厳しい現状を突きつけられると、「人間生きてるだけで丸儲け」などとのんきなことも言っていられないことになります。
たいへんなことだと思っていると、ちょうどその日に、以前小欄でも紹介した腰塚勇人先生が、新刊本『気持ちの授業』を、お届けしてくださいました。
2002年3月中学校の体育教師だった腰塚さんは、スキーで転倒したときに「首の骨」を折るという大けがをしました。
その時に、医師は奥様に、
「たぶん、一生、寝たきりか、よくて車いすの生活になるでしょう」
と告げたそうです。
手術は成功したものの、首から下は全く動きません。
その頃は、どうやったら死ねるかだけを考えていたと言います。
その頃、お見舞いに来てくれた人や、まわりの人から言われて、一番苦しかった言葉があるそうです。
それは、
「頑張れ」
「頑張ってね」という言葉です。
腰塚先生は、「お願いだから今その言葉を言うのをやめてくれ」と心の中で叫んでいたというのです。
そんななかで、
看護師の方が、
「助けてって、言っていいのですよ」と言ってくれました。
そして、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれたリハビリの先生のおかげで気持ちが変わってゆきました。
この「一緒に」という一言が心に響いたのでした。
「何があってもずーっと一緒にいるから」と言ってくれた奥様や、
「代われるものなら、代わってあげたい」という母親や、
仲間や生徒たちの言葉、
事故で死んだ教え子の存在、
病気で死んだ友達の存在などなどと感じると、
「一人じゃない」「生きなきゃ」と思ったのでした。
腰塚先生は、
「まったく動けなくても、『花』のように生きることはできるかもしれない。
今のすべてを受け入れて、いつも『笑顔』でいると決めました。
どんなことにも
『ありがとう』を言おうと決めました」
というのでした。
そう思ってから、なんとんだんだんと体が動き始めて、四ヶ月後に、「下半身の感覚はあまりないし、右半身はうまく動かせませんが」、学校に復帰できたのでした。
主治医の先生にも
「首の骨を折って、ここまで回復した患者は腰塚さんがはじめてです」と言われたそうなのです。
腰塚先生は、その担任を受け持ったクラスの卒業式を無事に終えることができたのでした。
体が不自由なところを、みんなが助けてくれたのでした。
次の年に一年生を受け持つことになりました。
体が思うように動かず、言動もチグハグで、今まで通りのことができません。
次第に自信を失ってゆきました。
なんでこうなってしまのかと自分を責め、怒っていたのでした。
とうとう自分の気持ちをコントロールできなくなり、自分の気持ちの行き場がなくて、感情が暴走してしまい、心の病になってしまったのでした。
そんな苦悩の中から、ご自身の体験を語る「命の授業」を始められるようになったのでした。
腰塚先生は、
「苦しいときイライラしていいんだよ、ブチ切れていいんだよ、文句言って、悪口言っていいんだよ。
その中で自分の今の気もちに気づいてほしい。
その練習をくり返しながら、気づいてほしい。自分のいちばんの理解者は自分だと。
そして、人の気もちがわかる人になってもらいたいです。」
と『気持ちの授業』の中で書かれています。
ありのままの心をまず認めることは、馬祖禅師の説かれた「平常心」の本来の意味に近いものであります。
まずそのように自分の気持ちにフタをせずに、しっかりと認めることから始まるのです。
横田南嶺