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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.05.07
今日の言葉

明るい心で

先日毎日新聞の取材を受けました。

夕刊にある、特集ワイドの「この国はどこへ コロナの時代に」という取材でありました。

いつも楽しみに拝読している毎日新聞でありますので、快く受けさせてもらいました。

取材ですので、いろんなことを聞かれました。

まずはコロナ禍で、私自身やお寺にどんな変化があったかということ。

これは、もう大変化であります。

以前、

予定消えすべて不要不急と知る

というつまらない川柳を作ったことがありましたが、大変化であることを率直に語りました。

この一句にすべて言い得ているのであります。

コロナ禍でどのように心を保ってきたかということについては、僧としての原点に帰るだけのことで、これは小欄でも何度も紹介している、調五事について語りました。

食事を調える、睡眠を調える、姿勢を調える、呼吸を調える、心を調えるの五つに尽きます。

そして、大切なことの二つ、止観という意味で、
「感情を波立たせないこと」と「思考力を正しくはたらかせること」ということを伝えました。

それから、僧のなすべきことは、自らを向上させることと人の為に教えを説くことの二つに尽きます。

この原点の確認なのです。

これらも今までYouTube法話などで紹介してきている通りであります。

社会不安が増大している中で仏教や禅の役割について聞かれました。

ほんのその数日前に毎日新聞の夕刊に、「寺社にもコロナ禍 拝観・法事激減、存続に不安の声も」という見出しの記事がありまして、お寺も今や、社会に影響を与えるというよりも、同情され心配される側になっていますと伝えました。

そんな中でも、禅の教えは、身心の健康につながることや、「不易流行」という言葉がありますように、変わらぬものを守ることの大切さを話しました。

とりわけ、この頃思うのは、やはりお寺は、存在することが価値であるということです。

いろんなことがあっても変わることなく、そこにお寺があるということが大事ではないかと思っています。

もちろん、寺も季節ごとに変わりますし、人も移り変わるのですが、それでも、そこに寺があるということは変わらないことであります。

私なども、滅多にふるさとに帰ることはないものの、ふるさとに帰ると、変わる事なく神社がそこにあり、お寺がそこにあることにホッとします。

お寺の、特にこの存在することの価値が重要だと思っています。

それは、人も同じことで、何かをすることということよりも、ただ存在し生きること自体の価値を自覚することが大事であります。

お寺もいろんな工夫をすることも、もちろん大切でありますが、そこに存在していること、昔ながらにたたずんでいることが大事だと思っています。

変わらずにある為に、いろんな工夫をしているのであります。

それから、今回取材を受けたのは、やはり何と言ってもこのオンライン配信に力を入れて継続していることが、記者の目にとまったからでした。

この経緯や思いについて聞かれました。

先ほど記しましたように、僧としてなすべきことは、修行して自らを向上させることと、人の為に教えを説くことの二つに尽きるのです。

自らを向上させるべく、修行を欠かすことはできません。

有り難いことに、私は今も修行道場という環境に身を置いていますので、今も若い方々と一緒に修行させてもらっています。

それから、もうひとつが人に教えを説くことであります。

人に説くことが大事なのであって、その媒体の如何を気にすることはありません。

本であろうと、講演であろうと、どのような形であれ、伝えることが目的なのです。

それが今大勢集まれないというので、配信させてもらっているだけのことであります。

ちょうど龍雲寺の細川晋輔さんから、私の恩師であり、細川さんの祖父である松原泰道先生の布教への思いを語った言葉を教えていただきました。

「布教の大切さを常に心にとめ、布教を修行と心得てまいりましたが、昨今の痛ましい社会的事件などを省みて、布教の足りなさ、私たちの力不足を痛感いたします。

とくに若い世代に対する布教の必要性を感じます。

布教とは、なにも仏教徒への改宗や入信を目的とするために行われるものではありません。

少しでも仏法の智慧を知っていただくことで、なにかその方のプラスとなるように、生きることの尊さを伝えられるようにとお話したり、執筆したりしているのです。

なにも大がかりな講演活動をしなくても、ささいなきっかけからいくらでも密度の濃い法座が開けます。

私はそうした草の根の布教活動のなかで、日常生活と仏教との新しい関係を生み出すことができるのではないかと思っています。

それには、私ども仏教者の積極的な働きかけが欠かせません。
地道ではあっても、その先に新しい仏道の世界が必ず見えてくる、と信じて実行を続けています。」

という言葉であります。

まさしくその通りで、私も松原先生のご縁によってこの道に入った者でありますので、このお心を受け継いでゆきたいと願っています。

この言葉は、コロナ禍の今にあっても肝に銘ずべきものであります。

最後に、コロナ禍の日本、ここがおかしいのでは、こうなれば日本はよい社会になるのでは、など提言があればと聞かれました。

これには率直に、

「今の日本、ここがおかしいと批判する力は私にはありません」と申し上げました。

四月二十五日の日経新聞の春秋欄には、

今回のコロナ禍を「太平洋戦争、バブル崩壊に続く第三の「敗戦」だと見る向きも出てきた。

軍事、経済、医療と分野こそ違うが、三度の敗戦には共通項がある。

縦割りの弊害、根拠なき楽観、科学の軽視、始めたらやめられない組織。」

というものでした。

今の日本のここがおかしいという事については、専門の方が語ってくれていますので、私などはその任ではないのです。

せめて私に出来ることは、こうして毎日皆さまに声を届けて、少しでも明るく前を向いて一日を送ってもらえるようにお祈りするだけなのであります。

そして、坂村真民先生の「明るい心で」の詩を紹介したのでした。

全体で一時間半の取材でしたのでたくさんのことを語ったのですが、記者の方がどのようにまとめてくれるか楽しみであります。

最後に「明るい心で」の詩を紹介します。

 明るい心で(坂村真民)
明るい心で
明るい顔で
接してゆこう
暗ければ
暗いほど
元気を出して
明るい方を目指して
生きてゆこう
天に
星が輝いているではないか
道のべに
花が咲いているではないか
空に
鳥が飛んでいるではないか
しっかりしろ
しっかりしろと
せみたちが鳴く
けんめいに鳴く

 
横田南嶺

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