禅人
「禅者」という言葉は使われていますが、「禅人」とは初めて目にする言葉であります。
親しくしている神戸の宝満寺の亀山博一和尚から、手紙が届きました。
何事かと思って拝見すると、このたび「禅人」という一般社団法人を作って、ウェブサイトを作ったということのお知らせでありました。
この企画には、私がいつも懇意にしている和尚さま方が名を連ねているのでありました。
一昨年より準備を始めてきたそうなのです。
三十代から四十代の和尚さんたち十三名が設立されたのでした。
私の存じ上げている方がほとんどなのですが、私は、まったく「蚊帳の外」で、相談も何も知らされることもありませんでした。
サイトが完成して公開するまでは、完全に極秘で進めてきたというので、まさしくその通り徹底されたのでしょう。
しかしながら、私たちの世界では、若手にあたる三十代から四十代の和尚さんたちが、自分たちでこういう新しい挑戦をなさるということは、実に尊いことであります。
応援したくなります。
私を「蚊帳の外」にしたのもお見事であります。
どのような理念の法人かというと、ウェブサイトによると、
「ZENzineは「人」と「禅」が出会うウェブマガジン。
「悟りを開いたスゴいお坊さん」ではありませんが、そのへんのお寺にいる「ごくフツウのお坊さん」たちが、悩んだり迷ったり楽しんだりしながら、心を込めて作っています。
2019年に始動、2020年より制作開始。以後、ほぼ全てのプロセスをオンラインで進めています。
私たちが何より大切にしたいのは、宗派やお寺を起点とするのではなく、あくまでも「人が中心」であるということ。
「禅」とは知識や思想ではなく、「人」が今を生きるための、シンプルで力強い智慧なのです。
禅に出会うことで皆さんが自分自身を、そして毎日の暮らしを「再発見」できるような、ワクワクする場所でありたいと願っています。
私たちは伝統や形式にこだわることなく、奥深い禅の魅力を、私たち自身の言葉で発信していきます。」
というのであります。
どうも、私は、この「そのへんのお寺にいるごくフツウのお坊さん」という枠には入れてもらえなかったということであります。
更に法人については、次のような説明があります。
「ウェブマガジンの母体である(社)禅人は、これまで仏教教団が布教の対象としてこなかった若年層の人々や、お寺との接点を持たない多くの人々への情報発信を目的として、有志の臨済宗僧侶13名により設立されました。
将来的には、ウェブだけでなく各地の寺院や地域とリンクした様々な展開を構想中です。
私たちが取り組むのは、宗派の教えを社会に広める「布教」ではありません。高いところから教えを説くような「説教」でもありません。
メンバー各自が真摯に禅と向き合い、そこで得たものや感じたことを自分の言葉で表現できるメディアを、自分たちの手で作ること。
そして、教団や組織の一員としてではなく、ひとりの僧侶として社会と関わり合い、ユーザーの皆さんと共に成長することを目指しています。」
というのであります。
今の既成教団のあり方では行き詰まりを感じて起ち上がられたのでしょう。
その志、大いに尊ぶべしであります。
どうぞ、皆さまにもこのウェブサイト禅人をご覧いただきたいのであります。
読む
調える
食べる
暮らす
学ぶ
書く
問う
という七つの項目から成り立っています。
「読む」には、禅のおはなしとコラムがございます。
和尚さま方がそれぞれ、禅語に因んだ話や、心が折れそうになった時のお話、それにコラムには、映画や音楽などについて、それぞれ自由に禅の世界に通じるものを説かれています。
「調える」には、坐禅、読経、写経について、ていねいな説明が動画と共に載せられています。
動画もまた綺麗に編集されていて、見るだけで心が落ち着きます。
「食べる」には、お粥の作り方や、様々な精進料理の作り方が、写真と共に解説されています。動画がついているものもあって、じつに親切であります。
禅の食事について学ぶ事ができます。
それから「暮らす」には、衣食住について、たとえば衣では、作務衣について紹介されています。
松本の神宮寺の谷川光照さんが、タイで作られているアクセス21の作務衣について書いてくれています。
アクセス21の作務衣は、須磨寺の小池陽人さんも愛用されていました。
「学ぶ」には、禅の歴史、禅の名僧、漢詩講座、禅寺建築探検隊という充実した内容であります。
「書く」には、私もよく存じ上げている野田芳樹さんが、動画で書道の基礎を教えてくれています。
「問う」には、なんとあの佐々木閑先生が、みなさんの質問に答えるというコーナーであります。
これだけ充実したサイトをよく作られたと感心すること頻りであります。
今の時代、紙の本を出版することは、労力がかかりますものの、あまり読まれないということがあります。
ウェブサイトという新しい媒体でありますが、若い人たちに、寺中心ではなく、「人を中心」として伝えていこうという思いを応援します。
今回のサイトの中では、昨年お亡くなりになった西村古珠和尚の法話も掲載されています。
「日日是好日」という禅語について、分かりやすく語ってくれています。
この法話は、東日本大震災のあった年に行われたものです。
未曾有の災害に遭って、「日日是好日」という禅語をどのように説かれたのか興味があって拝読しました。
その一部を紹介します。
「よく「防災対策が大切だ」という話になるのですけれど、「対策」ということでは、いくら積み重ねていったところで、必ず限界というものがありますね。」
「何らかの対策をする様なことをいくら積み重ねても、「これで万全だ」ということにはならない。絶対にならない。必ず限界がありいつも不安がつきまとう。対策という様なことをいくら積み重ねても「絶対に安心」には、絶対にならないのですね。」
「じゃあどうしたら良いか。ここで、仏教に限らず「宗教」と言って良いのかもしれませんが、その存在価値があるのですね。」
そこで西村和尚は、あの有名な漫画赤塚不二夫さんが亡くなった時の、タモリさんの弔辞の一節を紹介されています。
「あなたの考えは、すべての出来事、存在を、あるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が、異様に明るく感じられます。
この考えを、あなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。」
これを引用されておいて、西村和尚は、
「まさに、雲門和尚が言っている「日日是好日」が、ここに見事に言い表されていると思うのであります。
時間が前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられる。これを、われわれの専門用語で「即今当所」と申します。
即今は「いま」、当所は「ここ」。「今、ここ」しかない。
昨日も明日もない。今日しかないのだ。」
という風に、「日日是好日」の精神を解説してくれています。
西村和尚の貴重な法話をこうして読むことができるようになったのは、何とも有り難いことです。
この法話もまだ続きがあるそうで、次回公開されるのが楽しみにです。
「禅人」、期待しています。
横田南嶺