私は誰
お釈迦様が悟りを開いて初めて鹿野園でお説法をなされました。
それからしばらく鹿野園にとどまる間に六十名ほどのお弟子ができました。
お釈迦様は、お弟子たちを各地につかわして、新しい教えを弘めさせるようにしました。
お釈迦様ご自身も伝道の旅にでました。
途中ただひとりで、森に入り一樹のもとで坐っていました。
そこへ、若者たちが、なにか、あわてふためいて、森の中を右往左往していました。
お釈迦様がそこに坐っているのを見つけると、
「こっちに、ひとり、女性が逃げてこなかったでしょうか。」
と聞きました。
彼らは、そのあたりの良家の子弟なのですが、約三十人ばかり、おのおの妻と一緒に、この森に遊びに来ていました。
そのなかで、たった一人だけ、まだ結婚していない者がいて、妻の代わりにある女性を連れてきていました。
この森で、みんなが遊び楽しんでいるうちに、その女性が、彼らの財物をとって逃げたのでした。
それで、こうして、みんなで、その女性を探しているのだ、ということでした。
その事情をきいて、お釈迦様は、彼らに言いました。
「若者たちよ、君たちは逃げた女性を探し求めることと、おのれ自身を探し求めることと、どっちが大事だろうか。」と。
われを忘れて女性を探していた彼らは、そう問われて、はっとしました。
お釈迦様の威厳に打たれたこともあったろうと察します。
「それは、もちろん、自分を探し出すほうが、大事なことです。」
若者の一人が、そう答えましたた。
お釈迦様は、彼らに言いました。
「若者たちよ、では、みんな、そこに坐るがよい。
わたしが、いま、おのれ自身を探しだすことを教えてあげよう。」
そうして、お釈迦様が若者たちにお説法をなさったのでした。
仏教は、このように自己を探求する教えであります。
山尾三省さんに、ラマナ・マハルシの本があるのを知って、読んでいます。
ラマナ・マハルシというのは、「私は誰か」と自らに問うことを教えられました。
マハルシは、
「幸福を手に入れるためには、人は自己を知らねばならない。
自己を知るためには、「私は誰か」という問いで自己を尋ねる知識の道が、最も重要な方法である。」
と説いています。
「私は誰でしょうか?」
マハルシは、頭部や両手、胴体、両足などから成るこの粗大な身体、私はそれではない。
聴覚・触覚・視覚・味覚、そして嗅覚は、それぞれの対象である、音、感触、色や形、味、そして匂いをとらえるけれども、私はそれらではないと、説いています。
「ものごとを考える心すらも、私ではない。
対象物の印象のみが刻みこまれている無知、そこに対象物も働きかけもない無知もまた私ではない。」というのです。
そして
「今述べたことのすべてを「これではない」、「これではない」と否定し去った後に、ただひとつ残る自覚、それが私である。」
というのです。
そして、「自覚の本性は、存在 -意識-至福である」と説かれました。
臨済禅師は、「無位の真人」と説かれました。
何の位階にも属さない真の自己という意味です。
それは、今目の前でこの話を聞いているものだと説いています。
全てを否定し去ったあとに残るただひとつの自覚というのと共通しています。
そんなことを学んでいると、かつて方広寺の安永祖堂老師を訪ねた時に、禅でいう「公案」というのは、インドのサンスクリットで、「私は誰か」という意味の言葉が、「こーあん」というところから来ているのではないかという説もあるとうかがったことを思い起こしました。
サンスクリットで、「私は誰か」というのは、「こーあん」と発音するのだそうです。
普通は、公案というと、「公府の案牘」といって、公の法則条文のことを言いました。
それが私情を容れずに遵守すべき絶対性を意味する言葉として用いられました。
禅問答で取り組む課題を公案と呼んでいます。
ひょっとしたら、私は誰というインドの言葉を音だけあてたものだとしたら、実に興味深いことだと思いました。
もともと禅は、「己事究明」といって、自己を探求する道なのであります。
外に出掛けにくいこの頃、ジッと坐って、「私は誰か」と自らに問い、この「私」に安住することに楽しみや喜びを感じてみては如何でしょうか。
マハルシは語っています。
「『見られているもの』である世界がぬぐい去られたとき、『見る者』である自己の実現がやってくるだろう。」と。
間違っても外にでかけて、誰かに「私は誰」とは聞かないようにしましょう、危ない人と思われます。
自らに問うのです、「私は誰」と。
横田南嶺