一枚の葉書
これを読むのは、毎月の楽しみであります。
この先生は、毎月勉強会をなさって、その講演録を載せて、他のさまざまな記事と合わせて、『虹天』と題して、送ってくださっているのです。
今月の講演録は、本田実先生です。
講演録の紹介文によると、本田先生は、松井秀喜など、プロ野球選手を多く輩出した石川県星陵高校野球部で二十年間、部長として選手たちを育ててこられてきた方です。
森信三先生の「立腰教育」にも熱心に取り組まれています。
私も三年ほど前に、実践人の家全国研修大会に招かれて講演した折に、その立腰教育についての発表を拝見させていただいたことがあります。
そのように既に大きな実績をあげられている先生なのですが、感銘を受けた話が載っていました。
それは、先生が星陵高校に赴任して三年目くらいのとき、一年生の担任になられた頃のお話であります。
十一月頃までは順調にきていたらしいのですが、ある女の子が学校を休みはじめたそうです。
母親に、理由を聞いてみると、
「高校へ行く意味が分からなくなった」ということだそうです。
不登校になったのですが、先生はまだ赴任して三年目で、どう対応していいか分からず、月並みの言葉しか出て来ませんでしたというのです。
結局その子は、十二月のはじめ頃に学校を去っていったのでした。
このことが、先生にとっては大きな挫折となったのでした。
先生は、
「担任としての力のなさを痛感した」というのです。
「世間的には、『高校を出るだけが全てではない』と言ってしまえるのかも知れません。でも私は、『学校に合わなかった生徒が一人去っていきました』ということだけで済ます話じゃない』と思いました」と書かれています。
もし、そのような受け止め方をしてしまうと、これからの教師人生が「ただの先生」で終わってしまうのではないかと思われたのです。
そこで、何か出来ることはないかと問い続けられました。
先生に思い浮かんだのは、年賀状を出すことでした。
既に年末でしたので、年賀状を書いて出しました。予想通り返事はきません。
しかし一年経って、先生は年賀状を書いて「元気ですか」の一言を添えてポストに入れました。
次の年もその次の年も……
すると本人から返事は来ないのですが、その母親から、その子の近況が分かるような返事が来るようになったのでした。
「今こういうことをしている」「結婚しました」「子どもが生まれました」など近況が分かる返事が来たそうなのです。
そうして、先生は年賀状を二十年出し続けられたのでした。
なんと二十年目にして、その子から電話があったのでした。
近くに来ているので会いたいというのです。
二十年も経って会うと、相手はすっかり大人になっています。
彼女は、ひとこと、「先生の年賀状はすべて見ていました」と言ったのです。
先生は、その一言を聞いただけで救われたといいます。
先生は、彼女に、
「あなたが私の教師生活のある意味原点になっている。
あなたとの関係があったからこそ、その後に関わることになった生徒たちとの向き合い方が変わったんだ」と言いました。
彼女は、
「今ならあの時に先生が言いたかったことが分かるんです」と言ってくれたそうです。
今何をしているのかと聞くと、なんと、
「不登校の子供たちの面倒をみる仕事をしています。
あの子たちの気持ちが私なら分かるから……」
というのでした。
本田先生は、
「本当に嬉しかったです。
自分の経験をそんなふうに生かしてくれていることを知り、私は本当に救われました」と書かれていました。
そして、
「そうやって、わずか一年に一枚のハガキでしたけれども、二十年続けた末にこんなことが起こったのです。
この体験を思い出すたびに、私はやはり自分の体験の中で感じたものがというのは「本物」であると思います」
というのです。
この話を読んで、涙がにじました。
坂村真民先生の「ねがい」の詩を思い起こします。
ねがい
一羽の鳥を救いえば
一匹の羊を救いえば
一人の人を救いえば
という短い詩であります。
高校をやめてゆく一人の生徒がいても、それは致し方ないとして終える方がほとんどだと思います。
それで決して悪いわけではありません。
しかし、本田先生は何か出来ることはないかと、二十年ハガキを出し続けられたのでした。
年に一度のハガキ、これがいいのでしょう。
毎月など出されてもお互いに重荷になります。
負担にならない程度で、しかも忘れずに二十年……
この子に自分の思いが届いて欲しいと念じ続けておられたのでしょう。
その子もきっといろんな苦労をされたろうと思いますが、毎年先生が下さるハガキが支えになったのだと思います。
いつか先生にご挨拶ができるようになろうと努力したのだと思います。
ずっとその子のことに思いをかけ、信じ続けてこられた本田先生のお心こそ、教師の本分だと思いました。
そんなことを思うと、私などは反省すること頻りであります。
かれこれ、二十数年僧堂の師家を務めてきています。
途中で帰っていた者もわずかながらおります。
その者たちのことはずっと心にかかっていますものの、何もしてあげることができていないのであります。
申し訳ない、申し訳ないと今も思い続けています。
一枚のハガキを出し続けるということの偉大さ、大きな力を学びました。
ここに、本田先生の教師として真面目があるのだと思うのであります。
横田南嶺