三黙
記事の冒頭には、
「新型コロナウイルスの感染拡大を防ごうと、福岡市のカレー店が一月に考案した「黙食」ポスターがSNSで拡散したのをきっかけに、「黙」を使った新しい言葉が多様に変化しながら広がっている。」と書かれています。
成田空港へ向かうシャトルバスには、「黙乗」と書かれたシールとポスターが張られていたという話も書かれています。
都内のとある温泉施設には、「沐浴」ではなく「黙浴」と書かれたポスターが張られていたとか。
施設の中では、日光が降り注ぐ露天温泉で、男性客が気持ちよさそうに「黙浴」していたと書かれています。
従業員も「黙浴」の文字入りTシャツを着る周到さだというのです。
しかしながら、その店長は、
「家族や友達と一緒につかり会話を通して楽しさを共有する場所でもあるので、『黙浴』を求めるのはお風呂屋さんのあり方にそぐわない」と語っておられたとのことです。
それでも安心して利用してもらえるように考えたことのようです。
記事には、「黙乗」と書かれたバスの写真と、「黙浴」と書かれたTシャツを着た方の写真が載せられていました。
また「黙活」という言葉もあるそうです。
これも初めて知りました。
これは、「新型コロナウイルス感染症の流行下において、発声に伴う飛沫拡散による感染拡大を抑制する目的で「黙って〇〇する」行動奨励の総称」
のことだそうです。
「黙乗」「黙浴」のほかにも、
「黙食」「黙トレ」「黙買(もくがい)」「黙歩(もくほ/もっぽ)などがあるそうです。
「黙式」というのは何かというと、今年の成人式にみられた例で、参列者の合唱も禁止なのでそうです。
「黙援」は、スポーツ観戦などで、声を出さずに拍手や横断幕で応援するのだそうです。
「黙勉」は黙って勉強することです。
記事には、「『黙○』が生まれた背景については、『黙祷』『黙読』『黙礼』など、多くの既成熟語があるため、新語が違和感なく受け入れられ、あたかも昔からある言葉のように感じられて滲透しやすかったのでは」と書かれています。
そんな記事を読みながら、何だか禅の修行に似てきているなと思いました。
禅の修行道場では、禅堂、食堂、浴室は三黙堂といって、言葉を発しないことになっています。
禅堂は坐禅をする堂ですので、坐禅中は言葉を発しないのは当然なのですが、食堂や浴室も黙を守るのです。
食事の時には、会話して食べるのが一般的なのでしょうが、敢えてものを言わずに黙って、自らの修行に集中しながら食べるということです。
お風呂場もともすれば気が緩みがちになるので、ものを言わずに入ることになっています。
昨年「三密」という言葉が出てきた時にも、これは真言で説かれている「三密」の教えが復活したかと思ったのでした。
しかしながら、こちらは、文字が同じでも意味が違います。
「密集、密着、密閉」の三密を避けることに対して、真言で説かれる三密は、体で印を組み、口に真言を唱え、心に仏様を思い、身口意の三つで仏様と一体になることを言います。
今回は、ほぼ三黙と意味が同じであります。
違うといえば、今の黙活は、コロナ対策の為に一時的に仕方なく行っていることに対して、禅の修行の三黙は、ずっと継続してゆく本来の修行なのです。
しかしながら、普段お互いに饒舌になりすぎていないか、反省するにはいいかも知れません。
お釈迦様は、
「自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。(スッタニパータ 四五一)」
と仰せになっています。
もっとも、毎日こんなにベラベラしゃべっていること自体を反省すべきかもしれません。
本日は早めに終わります。
横田南嶺