あとから来る者のために – 決定詩 –
坂村真民先生の「あとからくる者のために」
という詩を紹介しました。
あとからくる者のために
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ
という詩であります。
これは、大東出版社の『坂村真民全詩集第三巻』に載っています。
しかし、この詩には二種類があります。
この詩は真民先生が六十五歳の時に書かれたものですが、九十二歳の時に書き改めたものもございます。
このたび、坂村真民記念館の西澤孝一館長からご教示いただきました。
この詩に二種類あることは存じ上げていましたが、それほど深く考えずに、第三巻に載っている詩を引用していました。
しかしながら、西澤館長は、九十二歳の時の詩を自ら「決定詩」とされていると指摘下さっています。
そして西澤館長は、六十五歳の時の詩は、自分に向かって書かれていますが、九十二歳の時の詩は、人々に向かって書かれているところが大きな違いだというのであります。
西澤館長は、
「社会の人々への「それぞれが少し我慢をして、少し苦労をして、自分にできる何かをしてゆこう」という真民の呼びかけがより届く詩になっていると思います」
というのであります。
そのようにご指摘いただいて読み直してみますと、なるほどその通りだと深く理解することができました。
ただなんとなく、第三巻にある詩を引用していたことを反省しました。
西澤館長が、これから引用するときには、九十二歳の時の詩を使って欲しいと仰ってくださいましたので、私もこれからは、是非ともそのようにしようと思いました。
真民先生の詩は、そのように年と共に深く深く掘り下げようとされているのであります。
読む側も心して読まなければなりません。
西澤館長のご教示に改めて感謝します。
では、九十二歳の時の決定詩「あとから来る者のために」を紹介します。
あとから来る者のために
あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
私もこれからは、こちらの「決定詩」を使うようにしますし、皆さまもそのようにお願いします。
この事をご教示くださるお手紙を頂戴した、まさにその同じ日に、西澤真美子さまからもお手紙を頂戴しました。
お二方から同じ日に手紙を頂戴するとは、嬉しい不思議であります。
西澤真美子さまの手紙には、愛媛新聞のコピーが同封されていました。
「一〇年目の震災後論」という記事で、若松英輔先生が書かれています。
「つながり育てられず 安心して悲しめる社会を」
という題で書かれています。
若松先生は、あの「震災後、しばらくの間、この国には強烈なつながりがあった。巨大な痛みをみんなで背負い、みんなで何とかしようとした。」
と書かれています。
しかし、新型コロナウイルスという危機に遭遇し、大切なものを失っているのではないかと指摘されています。
「物事を自分の見たいように見る「都合のいい個人主義」も横行しています。
自分が無事なら社会全体も無事に見えてしまう人。
「今は自分の面倒をみるだけで精いっぱい」と周囲に無関心な人。」
などが見られるようになったというのです。
以前西澤館長からいただいた手紙にも、坂村真民記念館では、「東日本大震災と坂村真民記念館」というメッセージボードと、震災の記録写真を玄関前に展示しているらしいのですが、西澤館長は、「来館者の反応はほとんどありません」と書かれていました。
震災の写真にも見慣れてしまったのか、もう悲惨な情景は見たくなくなったのでしょうか。
「そうじゃない人もいるけれど、世間の空気は総じて冷たい」と書かれています。
そして若松先生は、
「この一〇年、どこで間違え、何を見落としたのか。静かに考える必要があります。
「五輪をやるんだ」とやみくもに前に出たつもりで、私たちは迷路に入り込んでいる。
本当に未来に進みたいなら、その扉は過去にある」
と指摘されています。
さすがに若松先生の深い洞察であります。
西澤館長のご指摘と、若松先生の記事を拝読して、考えさせられます。
あとからあとから続いてくる者たちのために、このままでいいのだろうか、何ができるのだろうかと。
今日彼岸の中日です。
ご先祖にご供養を申し上げると共に、今の私たちは、あとから来る子孫達にとって、よき先祖になれるだろうかと考えるのであります。
横田南嶺