心ひとつで
しかし、これが好きな人の為に持つ荷物であれば、どんなに重くても軽々と担いでゆくものです。
人間は、心ひとつの持ちようで変わってきます。
どうか、好きなことを見つけ、好きな人に出会い、生きていてよかったと思えるような生き方をして欲しいと願います。」
花園大学の総長を務めるようになって、かれこれ四年になりますが、先日大学の卒業式に出て、卒業生たちにお祝いを述べてきました。
その時に伝えたことが、このことでした。
卒業式に出掛ける前に、新聞の川柳で、
「来賓は欠席すると喜ばれ」
というのがあったので、私も欠席した方が喜ばれたのかなと、大学の総長室で、事務の方に申し上げたら、
「総長は来賓ではありません、主催者側ですから、お忘れなく」
と釘を刺されてしまいました。
「心ひとつで」という話のあとに、いつもお話している三帰依についてだけ手短に話をしました。
卒業式のはじまりには、私が代表で三拝して皆で三帰依を唱えるのです。
三帰依は、「明るく、正しく、仲よく」生きることだということを話しました。
そして最後には、
「ひょっとしたら、これからの人生で立ち止まることや、つまづくこともあるかもしれません。
その時に、こうして花園大学で学んで禅や仏教にご縁があったのですから、禅や仏教に耳を傾けてください、きっと何か得られると思います」
と伝えて、皆さんの前途洋々たる未来が開かれることをお祈りしますと申し上げて、二分ほどの祝辞を終えてきました。
学長さんが丁寧に式辞を述べてくださりますし、理事長さんのお話もありますので、私はいつも手短に終えるように心がけています。
そして、今回一番心がけたことは、コロナについては一言も触れないでおこうということでした。
学長さんなどもきっとコロナのことには触れられるでしょうし、もう学生さん達は、敢えて言わなくても、この一年コロナで苦労させられてきたのです。
コロナ禍での就職活動もたいへんだったことでしょう。
もう充分に重い荷物を背負ってきているのに、そのうえにまた話をすることはないと思って、あえてコロナという言葉も出さずに、前途を祈ることだけを伝えました。
久しぶりに大学に登校しましたので、大学の方や来客などが相次ぎ、お昼まで総長室で過ごして帰りました。
帰ろうとすると、学生さん達が、お互いに記念の写真を撮り合っていました。
それぞれに着飾って、お互いに楽しそうに写真を撮っていましたが、それぞれに不安を抱え、重い荷物を抱えているのです。
花園大学で仏教を学んで、この春修行道場に入る人もいます。
一時、楽しそうにしていても、これから不安もあるのです。
どうか、前途幸多かれとのみ祈るのでした。
大学では、佐々木閑先生にもお目にかかることができました。
わざわざ総長室までお越しくださいました。
そして有り難いことに、先生の新著『ブッダ 繊細な人の不安がおだやかに消える100の言葉』を頂戴しました。
巻頭には、サインまでしてくださっていました。
これは、『ダンマパダ』や『スッタニパータ』などの仏典から、佐々木先生ご自身の訳によるブッダの言葉を紹介してくださり、短い解説がついたものです。
手塚治虫先生の挿絵が魅力的なのです。
帰りの車中で紐解くと、冒頭に
ものごとは心に導かれ、心に仕え、
心によって作り出される。
もし人が汚れた心で話し、行動するなら、
その人には苦しみが付き従う。
あたかも車輪が、
それを牽く牛の足に付き従うように。
という『ダンマパダ』の第一句が掲げられていました。
『ダンマパダ』では、その次には、
ものごとは心に導かれ、心に仕え、
心によって作り出される。
もし人が清らかな心で話し、行動するなら、
その人には楽が付き従う。
あたかも身体から、
離れることのない影のように。
という句が続くのです。
佐々木先生は、
「牛の足に車輪がついてくるようなしつこい苦しみから逃れるには、自分自身の心と行動を清らかにするしか方法がない」
と解説されています。
佐々木先生の前著『ブッダ 100の言葉ー仕事で家庭で、毎日を穏やかに過ごす心得』に続く著作であります。
佐々木先生にもお目にかかれ、新著までいただいて、有り難いことでありました。
苦しみも楽しみもお互いの心が作り出します。
心ひとつで変わってくるものです。
よい方向へ、明るい方向へと変えてゆきたいものであります。
横田南嶺