禅の思想
この本の出版には深い思いがございます。
大拙先生の没後五十年の頃から、大拙先生の著作を岩波文庫として復刊されることが続いてきました。
その一連で、『禅の思想』がこのたび復刊されたのでした。
解題を小川隆先生が担当され、私が小川先生のご推挙によって恐れ多くも解説を書かせていただきました。
小川先生とは、五年前に大拙先生の『禅堂生活』が復刊された時に、先生が解題を、私が解説を担当して以来のご縁であります。
その間には、大拙先生の著作ではありませんが、釈宗演老師の『禅海一瀾講話』を出版した折にも、私が解説を書いて、小川先生には綿密な校訂をお願いして、校注後記を書いていただいたのでした。
そのようなご縁もありますので、一昨年に小川先生から、『禅の思想』を復刊するにあたって、解説を書くようにとご推挙いただいたのでありました。
平素お世話になっている先生でありますし、これまでの経緯もありますので、その時は気軽にお引き受けしたのでした。
「何とかなるだろう」という実に何の根拠もなく、安易に承ったのでした。
それが、悪夢の始まりでありました。
『禅の思想』は鈴木大拙全集にもございますが、書架に置いてあった、春秋社から単著として出版されていた『禅の思想』をとり出して読み返してみました。
この春秋社本は伊豆山格堂先生が解説を書かれています。
読んでみて、改めて大拙先生の著書の中でも難解なものだと再認識しました。
実に難しいのです。
これはしまった、たいへんな本の解説を引き受けてしまったと、大いに後悔したのでした。
しかしながら、引き受けておいて、途中で駄目ですとも言われずに、昨年頑張って読み返したのでした。
単に読むだけでは、頭に入らないので、自分でノートを作って主要な箇所を書き写しながら読みました。
幸いに昨年は講演などがほとんどキャンセルされたので集中して取り組むことができました。
およそ原稿用紙にしておよそ300枚ほどのノートになりました。
それをもとにして解説を書こうとしたのですが、随分と苦労しました。
「乾竹に汁を絞る」という言葉があります。乾燥した竹から汁を絞るという意味ですが、まさしく干からびた私の頭から知恵を絞りきって書いたのでした。
如何に頭が錆び付いてしまったのかを思い知らされました。
そんな苦労をして書いたのが今回の解説なのです。
できあがって読んでみても、そんな苦労したほどの文章ではないので、改めて愕然とします。
「解説」の冒頭には、
「『禅の思想』は、昭和十八年鈴木大拙七十三歳の時の著述である。
その五年前に『禅と日本文化』を英文で出され、本書と同じ昭和十八年には『禅思想史研究第一』を出版されている。
またその翌る年には、『日本的霊性』を刊行している。
禅に関しては、その思想の最も爛熟した頃であると言えよう。
そんな時の著述であるので、志村武著『鈴木大拙随聞記』の終わりに興味深い問答がある。
志村氏の「先生はずいぶんたくさんの本を出していますが、先生ご自身で会心の作と思われるものは、どの本でしょうか」という問いに、大拙は即座に「『禅の思想』と『浄土系思想論』だな」と答えたというのである。
本書は、大拙自身が自らの禅思想を思うままに文字に著したものであるような思いがする。
大拙の「自内証」とも言うべきであろうか。」
というものであります。
もっともこの本は、私の「解説」よりも小川先生の「解題」が実に深い内容であり、小川先生の思いが凝縮されたものですので、是非とも「解題」を主に参照して欲しいと願います。
小川先生が、私の「解説」を読んで触発されて力が入ってしまったと語っておられましたが、これは私の「解説」があまりにも拙いので、これではいけないと力がこもったものと拝察します。
駄作もお役に立つのであります。
小川先生の「解題」には、大拙先生の『禅の思想』を書かれた経緯を次のように書かれています。
竹内好先生の『魯迅』のあとがきの言葉を引用されて説かれています。
「大拙は、当時、すでに七十代。
召集とは無縁であったが、しかし、「明日の生命が保しがたい環境で、これだけは書きのこしておきたいと思うことを、精いっぱいに書いた」(竹内好の文、筆者注)、その気持ちは、大拙にとっても、おそらく同じであったろう。
この時期第二次大戦の間大拙は、自分の研究と思索の頂点を表現する重厚な著作を、それこそ「追い立てられるよう」に次々に書きあげていた。
なかでも『禅の思想』は、漢文原典を存分に引きながら、自身の思考を、自身の用語で、たいへんな速度をもって次から次へと述べている。
「大拙自身が自らの禅思想を思うままに文字に著した」「自内証」の書、そう横田「解説」が評する所以だが、この書き方は、戦争末期という時代の切迫感と決して無縁ではなかったと思われる。」
というものであります。
この『禅の思想』において一貫して説かれているのが、「無分別の分別」であり、「超個の個」という思想なのであります。
たとえば達摩大師の著とされる『安心法門』をとりあげて、大拙先生は、
「心を二種類に分けて、独自の解釈を示している。
一つ目の心とは、普通に私たちが考える心であり、分別し計較する心である。
分別は比較を生み、比較から争いが生じ、更に苦悩が起こってくる。
要するに苦しみの根本である。
それに対してもう一つの心は、「無心の心」である。
これは、生死の境から解脱していて、涅槃であり仏であると説かれている。
禅者は、この分別計較の心を斥ける。
分別の心は、苦しみを生み出すので、無分別の心に触れないと安心は得られない。
大拙にとって安心とは、分別計較を超えた智慧の眼が開けたところに得られるのである。
そしてその智慧の眼によって明らかになるのが、無分別の世界に他ならない。」
と私は解説に記しています。
しかし、そうかといって、「無分別」の心になってお終いになるのではない。
「大拙は「分別計較を排しながら、分別計較を頼りて、即ちそれを媒介として、無分別の心体を表詮し」なければならないと説く。
「不立文字と云いながら、旺んに文字を立てて」説くのであるというのだ。
また敢えてもう一度分別を通して、無分別を示そうとするのである。
その営みが禅行為であり、禅問答に他ならない。
他の語録においても、この「無分別の分別」を明らかにしようとしている。」
と解説しておきました。
「超個」というのは、この「無分別」にほかなりません。
大拙先生は、『東洋的な見方』のなかで、
「分割は知性の性格である。
まず主と客とをわける。
われと人、自分と世界、心と物、天と地、陰と陽、など、すべて分けることが知性である。
主客の分別をつけないと、知識が成立せぬ。
知るものと知られるもの――この二元性からわれらの知識が出てきて、それから次ヘ次へと発展してゆく。
哲学も科学も、なにもかも、これから出る。個の世界、多の世界を見てゆくのが、西洋思想の特徴である。
それから、分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。
すなわち力の世界がそこから開けてくる。力とは勝負である。
制するか制せられるかの、二元的世界である。」と説かれています。
分別からは、差別や力が生まれるのです。
逆に無分別からは、愛や祈りが生まれるのです。
無分別は、差別をしないで、いのちを大きなつながりの中で感じます。
分割して頭で理解するのではなくて、お互いに一体感を感じ取るのです。
頭で理解することをやめて、腹で感じるのも無分別であります。
分割できないひとつながりの世界を「空」とも申します。
大拙先生は、「愛の関係網」とも表現されています。
小川先生も解題の終わりに、
「生命を創造するのは愛である。愛なくしては、生命はおのれを保持することができない。
今日の憎悪と恐怖の、汚れた、息のつまるような雰囲気は、慈しみと四海同胞の精神の欠如によってもたらされたものと、自分は確信する。
この息苦しさは、人間社会というものが複雑遠大この上ない相互依存の網の目である、という事実の無自覚から起きていることは、言をまたない。」
という大拙先生の「愛と力」(工藤澄子訳『禅』ちくま文庫、一九八七年、頁一九六)からの引用をなされて、
「今、この時期にここを読みかえし、私はあらためて、大拙の書物は死後半世紀以上を経た今もなお、「存在一般の苦しみ、世界苦或は宇宙苦」と共振しつつ、常に「今日」の「悲劇」に向かって「大悲」の心を説き続けているのだという思いを深くせずにはいられなかった。」
と書かれています。
難しい書物なのですが、もし挑戦しようと思われるのでしたら、是非とも小川先生の「解題」を読まれてから、本書をお読みになることをおすすめします。
横田南嶺