人生は芝居か?
もっとも小学生の頃からお寺に行って坐禅をしていたのですから、なおさら理解し難いのでしょう。
それは、幼少の頃に祖父の死にあい、人の死とは何か、死んでどこにゆくのかという大きな疑問を持って、何とか解決する道はないかと自分なりに探した経緯なのです。
お寺に話を聞きにゆき、浄土真宗の報恩講の話を聞いたり、教会で話を聞いたり、天理教の話を聞いたり、いろいろ学びました。
そんな中で、坐禅が一番だと思ったのでした。
そんなわけで、小学生の頃から、何か真実がありそうな話には、最も興味関心をもっていました。
十八歳まで和歌山県新宮市に住んでいましたので、そこで学べる限りのものを学んだと思っています。
地方ではありますが、いろんな方が見えて講演などもございました。
小学生の時に、当時薬師寺の貫首だった高田好胤和上がお越しになって市民会館で講演してくださったのが、一番印象に残っています。
なにせ、法話の熱量が違いました。
当時高田和上は、薬師寺の金堂を再建し終わって、次は西塔の建立へと悲願を立てられた頃で、熱心に西塔建立の為に写経を勧められていました。
私はそのお話に感動して、小学生のお小遣いを貯めては、薬師寺に送り般若心経を写経して送っていました。
その頃から般若心経は、何も見なくても書けるようになっていました。
いろんな方が講演に来られた中には、瀬戸内寂聴さんもいらっしゃいました。
立て板に水とはこのことかと思う、お元気な講演であったことを覚えています。
また、東大寺に清水公照長老の講演に来られていました。
清水公照さんのご著書も読んでいましたので、楽しみに拝聴したものでした。
清水公照さんは、東大寺の僧ですが、お若い日には臨済宗の天龍寺の僧堂に入って修行もなさっているのです。
その清水公照さんが語られた言葉で印象に残っているのが、
「人生は芝居だ。それぞれの役を演じるのだ」
という意味の言葉でした。
当時の私には、その言葉が理解できませんでした。
一度きりの人生を真剣に生きようと思っているのに「芝居」とは何事だと思って、少々がっかりしたのでした。
しかしながら、この「人生は芝居」という言葉はずっと心に残っています。
心に残っていた、この言葉に大きな力をいただいたこともあったのです。
『日本講演新聞』に水谷もりひとさんが社説を書かれていました。
題が「そうなりたかったらそう演じればいい」というのです。
水谷さんは、五十歳に手の届きそうな頃に、声優、俳優の学校で学ばれた体験があるそうなのです。
その時に映画監督や映画プロデューサーなどその道のプロに学べたことは、刺激的だったと書かれています。
そんな体験を経て、水谷さんは、
「人生は舞台、人は皆役者」という人生観を持てたというのです。
舞台には、稽古と本番があります。
稽古ではどれだけ失敗してもやり直しがききます。そして失敗を重ねるほど味のある役者になります。
人生は舞台ですから、いろんな失敗や後悔をするようなことがあっても、それは人生という稽古場での事なので、その気になればやり直しができるというのです。
「人は皆役者」というのは、俳優さんであれば、それぞれのいろんな役を与えられて演じていますが、そのように私たちもいろんな「自分」を演じているというのです。
親の前では、親の健康を気遣う「息子」、子どもの前では子煩悩な「パパ」、部下の前では仕事に厳しい「上司」、妻の前では、尻に敷かれる「夫」、などなどそんな役を演じているのです。
「演じている」というと、日本ではあまり良い意味ではとらえられません。
水谷さんも「あの子はいい子を演じている」というと否定的な評価の意味合いが強く、「嘘の自分」を装って見せているように思われると書かれています。
しかし、水谷さんは、
「演じるとは、その『役』を生き、その『役』を楽しむことだ」というのです。
「たとえば、身近にいつも理不尽なことを言う人がいたら、『あの人はそういう役を演じているのだから、私はそれに振り回されず、自分の役を演じればいい」とか「今苦しいのは、そういう役を演じているからだ」と考えればいいのだ」と、劇作家の竹内一郎さんの著書から引用されています。
そして水谷さんは、
「なりたい自分があったら、それにふさわしい言動を続けていくといい、
「お疲れ様でした」と、あの世から声がかかるまで、与えられたいろんな『役』を楽しみながら演じ切ってみよう」
と書かれていました。
私も僧堂の修行を終えて、修行僧を指導する立場に(師家)になるときに、同じようなことを思いました。
自分の如き者が、師家などになって指導することに大きな抵抗がありましたが、これもいただいたお役だと思って受けたことでした。
修行には、いろんな役がまわってきます。
食事の支度をする典座という役があったり、会計を預かる副司という役があったり、老師のお世話をする隠侍という役があったりするのです。
今度は、「師家」というお役をいただいのだから、そのお役を精いっぱい務めればいいと思ったのでした。
そうして考えてみると、かつて「人生は芝居」という清水公照さんの言葉も、決して悪い意味ではないと思えるようになりました。
やがて管長に就任する時にも、今度は「管長」というお役をいただいたのだから、精いっぱい務めようと思いました。
『臨済録』に、「無依の道人、境に乗じて出で来たる」という言葉があります。
何者をも頼りにすることのない真の自己が、様々な状況に応じて出てくると言う意味であります。
更に
「境は即ち万般差別すれども、人は即ち別ならず。
所以に物に応じて形を現じ、水中の月の如し。」と続きます。
外の世界は、千差万別さまざまありますが、その人は同じなのです。
それはあたかもお月様が、水に映るのと同じようなものだというのです。
いろんなお役をいただいても、その本人は変わることはないのです。
『臨済録』では、「無位の真人」とも申しますが、何の位階にも属さない真の自己が、人生という舞台で、いろんなお役をいただいて務めているのです。
やがてこの世のお役が終わるときも来るのでしょうから、それまでこの世の勤めを精いっぱいやればいいのだと思っています。
「人生は芝居」という言葉は、一見すると違和感を覚えますが、味わいが深いと、この頃になって思います。
横田南嶺