見上げれば がれきの上に
「悲しみや希望、言葉で表す」という題が書かれています。
そこに
見上げれば がれきの上に こいのぼり
という俳句が載っていて目にとまりました。
ほかにも
夢だけは 壊せなかった 大震災
うらんでも うらみきれない 青い海
などという句も目にとまりました。
これは宮城県女川町の中学生の俳句だそうです。
女川町は、津波で町の建物の七割が完全に壊されたそうです。
町のほとんどの人が被災者になったのでした。
灰色の景色の中で新学期を迎えた町立女川一中(現・女川中)の全校生徒は、2011年の五月に俳句作りに挑んだそうです。
「見上げれば」の句は、中学三年の女子の作です。
家族は無事だったそうですが、自宅は津波で流されたそうです。
町中、がれきしかないような光景だったとのこと。
「だが、そこには自分たち家族も含め、人々の暮らしの記憶が詰まっている」と、羽鳥書店発行の『女川一中の句 あの日から』には書かれています。
「家族で車で出かけた時だ。町の高台をのぼり、女川港が視界に入った。目を見開いた。
岸壁のそばに町の観光物産施設『マリンパル女川』が立つ。
津波をかぶって廃墟となったその建物の上に、こいのぼりが揚げられていた。」
というのです。
はじめは、
「泳いでる がれきの上に こいのぼり」
と詠んだそうですが、こいのぼりに「泳いでる」は余計だと考え、「復興」を自分なりに表現するのに「上を向いて生きよう」という気持ちをこめて、「見上げれば」とされたそうなのです。
坂村真民先生の
影あり
仰げば
月あり
の詩を思います。
影があると気がつくこということは、それを照らしている光があるということなのです。
影だけしかないということはないのです。
妙好人に三河のおそのという方がいました。
おそのさんにこんな話がございます。
あるとき越中から学僧が、本山から派遣されて三河の各地を巡回し、法話をしてまわられたことがありました。
そのときおそのは、一度もかかさず聴聞してまわったそうです。
半月あまりもかかって、三河の各地を巡回して、いよいよ最後の法座が矢矧川のほとりのお寺でもよおされました。
その夕方、お寺の座敷で、お別れの挨拶をし
「この度はありがたい御教化にあずかりましたが、この愚かなそのは、せっかくお聞かせいただいたお話もすっかり忘れてしまいました。
どうぞお形見に、たった一言、おきかせにあずかりとうございます」
と申し上げると、僧はしばらく黙っていましたが、やがて、
「のう、おそのや、きけばこのごろあの矢矧の橋が流れてしもうたそうじゃのう」
「はい、さようでございます」
「あの橋は、なかなか流れそうもない丈夫な橋であったがのう」
「それでございます。このたびの洪水は近年にないそれはそれは大変なものでございまして、あの丈夫な大橋もとうとう流されてしまいました」
「そうであったか。しかし、橋は流れても、天上から映ってくる月影は、よもや流されはせぬであろうがの」
そのことばの終わらぬうちに、おそのはにっこりほほえんで、
「ありがとうございます。お助けの月は、まんまと、そのの心に映ってくだされました。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
と二人でお念仏申したという話です。
宮城県気仙沼の地福寺住職であった片山秀光和尚は、
「震災で私達は多くの物を失った。
かけがえのない家族や仲間、多くの財産を失った。
しかし、それ以上のたくさんの人々のまごころをいただいた。」
と語っておられた言葉を思い起こします。
最後に真民先生の詩をもうひとつ。
「光と闇」を紹介します。
光だ光だ
という人には
いつか光が射してくるし
闇だ闇だ
という人には
いつまでも闇が続く
知人のカメラマン平林克己さんが、震災十年に写真集を出されました。
『「陽」 HARU Light & Letters: 3.11 見ようとすれば、見えるものたち。』
という本です。
平林さんは、被災地の写真を長く撮って来られています。
震災直後の写真から、今年の写真まで、十年間被災地に通われた集大成であります。
特に平林さんは、被災地の空を写してこられました。
悲惨な光景でありますが、そこには必ず光が射しているのです。
そんなことを気づかせてくれる素晴らしい写真集です。
平林さんは、あとがきの中で、どの写真からも伝えたい事があると書かれています。
それは、
「どんな状況にあっても、希望の陽は昇ってくる」ということなのです
五月晴れの空に、鯉のぼりがたくさん泳いでいる写真も納められています。
その写真には、
「向かい風も、飛ぶ力に変えられる。」
という言葉が添えられています。
それぞれの写真に添えられた言葉も素晴らしく、これは横川謙司さんの作であります。
玄侑宗久先生の文章も素晴らしいものです。
オビには、玄侑先生の、「私はこの本に『希望の仕組み』を教わった気がする」という一言があります。
さて今「見上げれば」何が見えるでしょうか。
横田南嶺