真の安らぎとは
西村先生が、あえて「ファンタジー」と名づけられましたように、経典に書かれていることは、必ずしも事実そのものではありません。
一見「ファンタジー」のように思えても、それを事実ではないからといって否定するのではなく、そこから何を説こうとしているのかを読みとってゆくのです。
『維摩経』は、維摩居士が主人公であります。
居士ですから、出家者ではありません。
居士というのは、在家の修行者を表す言葉です。
日本でも山岡鉄舟などは、鉄舟居士と呼ばれます。
その居士と言っても、維摩居士の場合どんな居士かというと、本書を参照しますと、
「ブッダと同じふるまいをなし、心の広くて深いことは海のようであり、
あらゆる仏たちから賞賛される者となり、
帝釈天、梵天、その他あらゆる世を護る神々(四天王)から尊敬を受け、
衆生を済度するために、民衆ととともに、ヴァイシャーリーに住んでいる。
彼は大変なお金持ちで、その私財を投じて貧民を救済した。
在家の居士であったが、坊さんと同じように戒律を護り、
民家に住みながら、世俗世界(欲界、色界)に執着せず、
妻子を持ちながら、仏道(梵行)の生活をしている。
従者たちがいても、自分は常に俗世間から離れることを楽しんでいる。」
と書かれているように、在家の暮らしをしながらも、悟りの世界を実現しているのであります。
紀元前後に、大乗仏教が興って、その中に『維摩経』ができあがりました。
在家中心の人たちから生まれた経典であろうと推察されます。
それまでの仏教では、どこまでも出家が優位であり、在家はその出家を支援する立場でありました。
それが、在家でも悟りを実現できることを強調したのが、この『維摩経』の特色であります。
そこで、『維摩経』では、伝統の教団においては中心となっていた仏弟子たちを、徹底的に批判してゆきます。
少々行き過ぎではないかとも思えますが、当時の仏教教団が批判されるような状況になっていたかもしれません。
一番例に出されるのが舎利弗であります。
舎利弗は、十大弟子のなかでも智慧第一と称えられ、ブッダから教団の後継者と目されていた方です。
そんな舎利弗が、維摩居士に、それこそ「こてんぱん」にやりこめれるのです。
維摩居士が、病の床に伏せっていることを知ったお釈迦様は、仏弟子たちに誰か維摩居士のお見舞いにゆくように勧めます。
ところが、舎利弗も目連も迦葉も、錚々たる仏弟子たちは、かつて維摩居士にやりこめられた経験があるので、とても居士の見舞いにはゆけませんと辞退してしまうのです。
舎利弗がどのように辞退されたのか、『維摩経ファンタジー』には次のように説かれています。
「あるとき私(舎利弗)が樹の下で坐禅をしていました。
するとそこへ維摩居士がやって来られ、私に向かって次のように批判されたのです。
舎利弗さん、あなたのやっているのは坐禅(宴坐)ではありませんよ。
坐禅というものはそのように、わざわざ行なうものであってはならないのです。
ほんとうの坐禅というのは、身体や心には見えないようにするものです。
心が静かに落ち着いた状態(滅尽定)のままで、しかも日常生活(行住坐臥)が、活発になされていること。
すでに聖者の人格を具えていながら、しかもごく普通の凡人のように見えていること。
心が內にも外にも向かわないような状態であること。
煩悩の苦しみから離れないで、しかも涅槃の安らぎのただ中にいること。 。
とまあ、このような坐禅でなければならない、と維摩居士はおっしゃるのです。」
と書かれています。
この「聖者の人格を具えていながら、しかもごく普通の凡人のように見えていること。」というのが、漢文では
「道法を捨てずして、凡夫の事を現わす、是れを宴坐と為す」
というのです。
山田無文老師は、
「道法は仏法の修行であります。
高い仏の道を守りながら、庶民とともにあたりまえの凡夫の日暮らしをする、これが坐禅です」
と説かれています。
最後の言葉は、漢文では、
「煩悩を断ぜずして涅槃に入る、これを宴坐と為す」
であります。
煩悩の苦しみから完全に離れて、涅槃という安らぎに到るのだと考えがちであります。
煩悩を断つことこそが、真の安らぎだと思うのです。
しかし、『維摩経』ではそうは説きません。
煩悩を断つことなく、涅槃に入るというのです。
三月十一日、午後から鶴ヶ岡八幡宮において、鎌倉の宗教者たちが集まって祈りを捧げました。
その前に鶴ヶ岡八幡宮の吉田茂穂宮司のお話を承りました。
宮司は、十年の歳月を静かに顧みられ、震災の一年前の三月十日に、鶴ヶ岡八幡宮のご神木大銀杏が倒れたことに触れられました。
鶴ヶ岡八幡宮のみならず、鎌倉のシンボルといってもいい大銀杏でした。
宮司さん自身、知らせを受けて朝早く現場に駆けつけたそうです。
信じられない光景だったと言われました。
その後の記憶は無いらしいのです。
あとで八幡宮の職員に聞くと、宮司さんは、お供え物を捧げては、一日中倒れた大銀杏の樹をなでさすりながら、悲しみに暮れていたというのです。
その話をうかがって心打たれました。
恐らくわが身を半分失ったかのような悲しみであったのでしょう。
仏教では、「一切は、空であり、無常である」と説きます。
何百年生きた樹木もやがて寿命が来て倒れてしまうというのは確かに真理です。
でも、その真理を見つめて、平然としているのが、真の安らぎなのでしょうか。
私は、一日中樹をさすりながら悲しみに暮れていたという宮司のお姿にこそ真の安らぎをみる思いがします。
煩悩を断たずして、凡夫の暮らしをしながらも、歎き悲しみながらも、そこにこそ真の安らぎが現れているのです。
その悲しみの心が他の人へも慈しみの心となるのです。
横田南嶺