そのままでいいのか
昨年、七月に板橋禅師は、九十三歳でお亡くなりになりました。
禅師は、多くの弟子を育てられ、たくさんの書物を残され、大勢の信者さんに尊敬されていました。
私もご著書を通じてご尊敬申し上げていました。
生前ただ一度お目にかかることができました。
板橋禅師のお弟子が、藤沢の天嶽院というお寺の住職に就任され、その儀式でお目にかかりました。
禅師は、曹洞宗でありながら、臨済禅にも関心をお持ちでありました。
それは、禅師の師匠が、渡辺玄宗禅師という総持寺の貫首を務められた方で、その渡辺禅師は、円覚寺の宮路宗海老師に参禅して印可まで受けておられたのでした。
曹洞宗の僧で、臨済禅に参じる方もいないわけではありませんが、印可を受けるまで修行される方は稀であります。
印可を受けるということは、臨済禅の公案(禅問答)を全て透過して師より法を継ぐことを認められることを言います。
板橋禅師のお師匠さまがそのような方だっただけに、いろいろと臨済の修行についても聞いておられたのでしょう。
臨済禅と曹洞禅との違いは、一口でいうのは難しいのですが、よく一般には、壁に向かって坐るのが曹洞宗、向かい合って坐るのが臨済宗などと説明されます。
それももっともですが、そんな違いは本質ではありません。
臨済禅は、今日ではなんと言っても、公案を透過してゆくことに重きをおいていることにあります。
対する曹洞禅では、本来悟った仏である存在が、仏の修行を行うことを説いています。
ともに禅宗ですので、皆すべての人は仏心を持っていることを説きます。
しかし、それを悟らなければなにもならないとする立場が臨済禅でしょう。
本来仏なのだから、仏の行いとして坐禅をするのだという立場が曹洞禅であると言えましょう。
もっとも一口に「臨済禅」と言いましても、時代により、またその祖師により説かれる内容は大きく異なります。
臨済禅師の頃はというと、今でいう「公案」なるものなどありませんでした。
馬祖禅師の説かれた、「即心是仏」という、心がそのまま仏であるという教えを受け継いでいます。
ところが、その心がそのまま仏であるという教えに対して、批判が出て来ました。
それは恐らく、そのままが仏であるというのなら、努力して修行しなくなり、堕落していった側面があったからではないかと察します。
臨済禅師は、「求心やむ処即ち無事」と説かれました。
求める心が止んだところを「無事」というのです。
馬祖がそのままの心が仏であると説かれたのを、臨済禅師は「無事」という言葉で表現しました。
しかし、注目すべきは、「求める心がやんだ処」という表現であります。
これは決して、求めないということではありません。
何も求めることもせずにそのまま仏ですというのではないのです。
求める心が止むということは、求めるという行為が前提となっています。
むしろ求めて求めて求め抜いてこそ、そのままでよかったという自覚になるのです。
求め抜いた結果、なにも外に求める必要はない、そのままで仏だという自覚こそが、臨済禅師の説かれる「信」であります。
それは、まさに臨済禅師が、「体究錬磨して一朝自ら省す」と言われているように、「体究錬磨」という体験が必要なのです。
そうでないと、何も求めないまま、そのままでいいですよということになりかねません。それでは堕落へとつながりかねないのであります。
そこで、馬祖禅師や臨済禅師と同じような「体究錬磨」の体験をさせようと「公案」という問題を与えて修行させるという方法が確立されたのでした。
現実態のありのままの心を、馬祖禅師は「平常心」と説かれたのでした。
これはどんな状況にも動揺したりすることのないという意味の心ではありません。
どんな場合でも「平常心を保ちました」と言われるように意識して保つものでもありません。
それらはすべて「造作」、はからいになってしまいます。
揺れ動くなら揺れ動くままに平常心なのです。
さて、このそのままでいいのか、そのままではいけないのかという問題は、ずっと禅の歴史を貫く大きな課題となりました。
板橋禅師の遺稿集に、こういう言葉がありました。
「安易に分ってしまってはいけない」という題です。
「平常心でおれ。自然にただおれ。理屈なしに生きよ。ということを聞いて安易に理解し安心してしまっては面白くない。
平常心を心がけた平常心では作りものになってしまう。
自然らしく自分で振舞った自然では似て非なるものになる。
理屈なしの行為がよいと知ってやる行為は「理屈なし」という「理屈」で処理することになる。
チョットの差が天と地のひらきになる。
いわゆる手づくりの仏法になってしまう。
本当に安心解脱を求めて止まぬ者にとっては、この点を自分にゴマ化し切れず、人知れず苦涙をのむ。
無駄骨とは知りつつも居たたまれず刻苦勉励する結果になる。
お釈迦さまも御開山さまもみなそうであった。」
というものです。
短い言葉ですが、的確に真理をついています。
馬祖の「平常心」、ありのままの心という話を聞いて、ありのままでいようなどと思ったら、もうすでに「平常心」ではないのです。
作りものなのです。
無事も同じで、無事でいようなどと意図すれば、もう「無事」ではありません。
ではどうすればいいのか、臨済禅ではあえても公案という問題を抱えさせて、それに全身全霊を打ちこんで、最後精根尽き果てて、「ああこのままでよかった」と気づかせるのであります。
板橋禅師は、
「この公案禅は、学人に、ことさら疑問を喚起し、その疑問の氷解を待って、自分の真相を知らしめる法とも言えよう。
それはちょうど、健康体の身体にわざと瘡をつけ、その瘡の癒ゆるのを待って、もともと健康体であった自分を悟らせる方法にも喩られよう。
わざわざ好肉上に瘡をつける荒療治をするだけに、ちょっと間違うとさまざまな弊害もおこり易い。」
と指摘されています。
実にその通り的確な指摘です。
そして更に曹洞禅については、
「これに対し、只管打坐の道は、健康人が健康人としての息づかいを、注意深く見守らせることによって、自分がほんとに健康人であったことを、気づかせる方法と言ってよい。」
と説かれています。
こちらの方が安全で間違いが起こりにくいと思います。
盤珪禅師が「不生の仏心」のままで暮らせと説かれたのもここに通じます。
更に板橋禅師は、
「しかし、この只管打坐の道にも弊害が出来やすい。
明眼の正師の指導を得ないと、自分はもともと健康人だ、といいかげんに自分で安心をきめこんでしまう。
ほんとに健康人であることの確実な自覚がないままに、これでよいんだ、と安請け合いし、曖昧のままに放置してしまう。
そのため只管打坐を標榜するわが宗門には、自分が悟っているのか、迷っているのかさえあいまいな禅者がまことに多い。
問題意識のない宗門になっている。」
と指摘されています。
実に痛い所を突いた言葉です。
禅師の五十代の頃の箴言であります。
『閑々堂』という禅師に遺稿集にある言葉です。
最近知人より頂戴しました。
そのままで安らいでいるのと、そのままで良いと思っているのとでは、天地の隔たりがあるのです。
盤珪禅師の教えを受けるお弟子たちが、わずかの間に消えていったのも、その辺に問題があるかと思います。
盤珪禅師自身は体究錬磨した末に、不生の仏心のままですべてが調うと説かれました。
しかし、それをそのまま鵜呑みにしてしまっては、無自覚なまま安住し、やがて堕落してしまうことになりかねません。
そんな弊害をご覧になって白隠禅師が出られたのでしょう。
こうして、禅の歴史は、小川先生の仰る通り「無限の運動」をくり返すのです。
いずれにしても、どこにも「安住」しては駄目だということです。
絶えず求め続ける努力をするしかないのです。
横田南嶺