結婚式 – 明るく正しく仲よく –
もっとも私の結婚式ではありません。
こんなたいへんな時に結婚式など、やっている場合かという声も聞こえましょう。
二組とも、その点はいろいろと考えてのことでありましょう。
昨年以来、日を延ばして様子を見てきたのでしょうが、いつ終息が見えるか分からない中で、式だけでも挙げておこうとそれぞれ決心したのだと察します。
当然のことですが、大勢の披露宴などできません。
お寺で、ほんのわずかの参列者だけで、式を挙げたのでした。
私は、戒師という役目を務めました。
教会の結婚式でいえば、神父さんや牧師さんにあたる役目です。
こんな困難な世の中にあって、若い二人が力を合わせて生きてゆこうと決意されるのですから、応援したくなるものです。
仏前結婚というのは、あまり馴染みがないと思われます。
ただ、私が今まで行って来た感じでは、多くの方から厳かで良かったと言っていただいています。
仏様の前で、まず般若心経を皆で唱えて両家のご先祖のご供養を致します。
そして、私が戒師となって、新郎新婦に誓いの言葉をのべてもらいます。
それから、二人に三帰戒を授けます。
この三帰戒を授けるのが、仏前結婚の中心であります。
三帰戒を授けたら、二人は仏弟子になったことになりますので、
「これよりご両人は御仏の御教えに従ってその生活を整え、お互いが幸せになると共に、すべての人が幸せになる為に努力し、仏恩に感謝し、先祖を敬い、明るい家庭を礎き社会に功献して頂きたい」と二人に告げて、あとは三三九度の杯を交わして終わります。
三帰戒というのは、仏法僧の三宝に帰依することを習慣として生きてゆくことです。
「戒」とは戒めというよりも「よき習慣」であると、いつも申し上げています。
三帰戒などは、まさにその通りで、戒め事項ではなく、三宝に帰依することを習慣としてゆくのです。
三帰依の言葉にはいろんな言葉があります。
「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」と唱えるのが一番基本であります。
『華厳経』には、
「自ら佛に帰依したてまつる
当に願わくは、衆生とともに大道を体解して、無上心を発さん。
自ら法に帰依したてまつる
当に願わくは、衆生とともに深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる
当に願わくは、衆生とともに大衆を統理して、一切無礙ならん。 」
という言葉がございます。
この言葉を唱えることもございます。
円覚寺の日曜説教の折などには、この『華厳経』の三帰依文を唱えていました。
椎尾弁匡僧正は、この三帰依文を日本語で更に分かりやすく、
「どうぞ今日からいつまでも、明るく正しく仲よく致しましょう」
と意訳されました。
真理は平易な言葉で表されますが、まさにその通りです。
平明でいて奥深い言葉であります。
「明るく、正しく、仲よく」ということが、「仏法僧」の三宝にあてはまるというのです。
仏=明るく
法=正しく
僧=仲よく
というのが椎尾弁匡僧正の高説なのであります。
椎尾僧正の書籍を参照してみましょう。
まず「明るくー仏」ということについて、
「明るくなるということはどういうことであるか。
それは目が覚めることだ。
目をつぶってしまっては、明るいようでも手前勝手になる。
目をあいたとき外の物まで明るく見える。
明るく見えるということは日月等の光りを受けること、すなわち大きな御光り、日月以上の大きな御光り、お照らしがある。
あるからそれを受ける。
いつでも私たちは目に見える以上の力でお育てを頂いておる。
すなわちこれは目が覚めることであり、正しい信仰のおこることである。」
と解説されています。
単に仏像を拝むことが、仏に帰依するということではなく、お互いが迷いの世界から目覚めて、明るく生きてゆくことこそが、仏に帰依することだというのです。
次に法に帰依するとは、正しく生きることだというのはどういうことかというと、
椎尾僧正は、
「法というのは正しいということであるが、正しいというのはまっすぐにすることで、つまりぐるぐる曲り道をしない。
けれども、急がば廻れと言いますように、まっすぐに行けと言うたからまっすぐに行って川の中にとび込んだり、電車道を無理に通ってひかれたりしてはダメです。
そうでなく、まっすぐということはムダを無くすることだ。曲り道をなるべく減らすのだ。
しかし急がば廻って行くのも正しい道だ。
そういうふうにムダをしない。
ところが、私共が朝から晩まですること考えること言うこと、みなムダが非常に多いのです。
ムダ口・ムダごと・間違い・まごつき・ごろつき・いろいろのものがで来る。
そういうふうに曲ったことをしないで、まっすぐにずんずん行くのが正しいということです。
すなわち一切経といい御教えというものは、私たちがまごつくところをまごつかぬように、ムダするところをムダせぬように教えなさる。」
と解説されています。
むやみに生き物を殺さない、時間を無駄にするようなことをしない。瞋や妬みなどの感情を抱くことも、無駄なエネルギーを使うだけなのです。
そのように無駄をしないことが正しく生きることであり、法に帰依した暮らしであります。
最後に仲よくということが僧に帰依するとは、どういうことかというと、
「すでに明るく正しくして行く生活には、必ず兄弟でも夫婦でも隣同志でも、また国際関係でも、みな自然に平和となり共同一致となり、十方発達にならずにはおりません。
それがなごやかさー僧であります。」
というのです。
みんなが仲よく暮らすことこそ、僧に帰依することなのです。
椎尾僧正は、
「仏法僧の三宝を敬うということは、お木像をきれいに飾って花を上げて、ただおじぎをしろということではない。」と言います。
三帰依はいったい何を望んでいるのかというと、
「本当に明るく正しく仲よくすることを教えておるのだ」と説かれています。
仏前で戒師に導かれて、三宝に帰依して三帰戒を受けるということは、
「どうぞ今日からいつまでも、明るく正しく仲よく致しましょう」
と誓うのです。これが仏前結婚式であります。
結婚式ならずとも、戒を授ける授戒会というのは、このことを誓う儀式なのです。
思えば新型コロナウイルス感染症が出る前の令和元年には、円覚寺本山において、授戒会を行い、実に千三百名の方々にこの戒を授けたのでした。
その折りにも、「どうぞ今日からいつまでも、明るく正しく仲よく致しましょう」
と解説しました。
「明るく正しく仲よく生きる」ことが土台となって、みんなが幸せに生きる社会を実現しようというのが大乗仏教の教えであります。
円覚寺では仏前結婚式も受け付けています。
もしも仏前で、三帰戒を授かって、「明るく正しく仲よく生きよう」と誓う儀式を行いたいということでしたら、どうぞお問い合わせください。
横田南嶺