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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.03.02
今日の言葉

頭は涼しく、お腹は温かく

佐藤一斎の『言志録』には、禅の教えに通じる言葉がいくつもございます。

こんな言葉があります。

「面は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す」

というものです。

越川春樹先生の『人間学言志録』にある訳を参照しますと、

「顔面・頭は冷やかでありたい、背中は暖かでありたい。胸はすっとしてつかえないようにしていたい。腹は丹田に力がはいっているようにしていたい」

というのです。

越川先生は、「一斎は常にこのような健康な状態でありたいと努力したのである」と解説されていますが、健康というのは、まさしく、この「面冷、背煖、胸虚、腹実」の状態であるといえましょう。

その逆が、「面煖、背冷、胸実、腹虚」になってしまいます。

頭がカッカカッカしてしまい、背中がゾクゾクしてしまって冷えて、胸にいっぱい思いや煩いを抱えて、お腹はペシャンコになって力が抜けてしまっているのです。
こういう状態になっていることは、案外と多いかもしれません。

現代の生活では、特にその様になってしまう傾向があるように思われます。

今は情報が多すぎるのです。

目を刺激するもの、耳を刺激するものがあまりに多くて、頭であれこれと考えてしまって、頭の部分が熱をもってきてしまいます。

頭が、スーッとスッキリ爽やかとは、なかなかいかないのではないでしょうか。

冷えというのも、現代においては大きな問題の一つです。万病を引き起こす原因ともなります。

胸には、いろんな思い煩いを抱えて、感情に振り回されているのではないでしょうか。

その結果、お腹の力は抜けてしまうことになりがちであります。

越川先生の解説の中には、

「言志四録詳解の著者、飯田傳一氏は「顔が冷たい(冷静)ならば従容迫らず事に当ることができる。背が暖いならば熱烈人を動かすことができる。胸中虚ならば、我意、私見を去り得るから最も公平を保ち得られる。腹丹田に力を注げば泰然自若として動じない」といっている」

と説かれています。

静坐法を広く勧められた岡田虎二郎は、人間を頭の人、胸の人、腹の人の三つに分けて説いています。

岡田虎二郎の言葉を紹介しますと、

「丹田が神性の殿堂である。

殿堂が立派にできて、神性が伸び、ほんとうの人間ができるのである。

人間に高下をつけると、頭を主とした人が一番下の人である。

智識を詰めこむことばかりしていて、頭ばかり大きくなって、まるでピラミッドを逆様にしたような倒れやすい人になる。

人まねくらいはできるが創作も発明も大事業もできない。

次に胸を主とした人、これが我慢の人である。

日本古来えらいといわれた人にはこの種の人が多いが、こんなことではまだだめである。

下腹を中心とした人、神性の殿堂を築いて神性を伸ばした人、これが上の人である。

この人こそ心身の遺憾なき発達をとげ、力はその内部よりわき出で大安楽の心境をつくり、己れの欲するところをなして、のりを越えざるところの人になるのだ。

静坐はこの上の人となるために、物理的に最も安定した姿勢をとるので、私の示すところと一毫の違いがあってもよろしくない」

というのです。

下腹を中心とするところは、禅の教えそのものであります。

下腹を充実させるということは、単に健康にいいというだけではなく、人間として生き方にも大きく関わるものです。

白隠禅師は、

「常に心気をして臍輪気海、丹田腰脚の間に充しめ、塵務繁絮の間、賓客揖譲の席に於ても、片時も放退せざる時は、元気自然に丹田の間に充実して、臍下瓠然たる事、未だ篠打ちせざる鞠の如し」

と説かれています。

常に気を丹田に満たして、どんなに仕事の忙しい時でも、お客の応対に追われている時でも下腹の力を片時も抜かないようにしていると、自然に気力が丹田に充実して、おへその下が毬のように充実してくるというのです。

白隠禅師の内観の法というのは、意識を気海丹田、腰脚足心に集中させるものです。

意識を向けると、そこに自然と気が集まるのです。

そこで、自分のこのお腹こそ、本当の自分だ、このお腹こそ、わがふるさとだ、このお腹こそ、お浄土だという言葉を用いて意識を集中させるのです。

私が尊敬している平林寺の松竹寛山老師は、『禅文化』二五九号で、この内観の法を詳しく親切に解説してくださっています。

松竹老師の、内観の文の意訳を参照させていただきます。

わがこの気海丹田、腰脚足心は本来の自分。
本来の自分はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は心のふる里。
心のふる里はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は心の安らか
な世界。
心の安らかな世界はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は阿弥陀さま
の世界。
阿弥陀さまの世界はどんなだろう。

というのであります。

こういう意識を用いて、下腹に気を集めて充実させるのです。

その時には、腰を立てることが肝要です。腰骨を立てると、自然と下腹に重心がおさまります。

すると自然と頭の方はスッキリ爽やかになるものです。

禅の教えは、単なる教理を理解するのではなく、その身体に於いて深く納得して、感情を波立たせず、冷静に物事の判断できる、人格を形成するものです。

今の時代なればこそ、頭は涼しくお腹は温かにになりたいものです。

 
横田南嶺

頭は涼しく、お腹は温かく

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