一人でもいい
一人でもいい
一人でもいい
わたしの詩を読んで
生きる力を得て下さったら
涙をふいて
立ちあがって下さったら
きのうまでの闇を
光にして下さったら
一人でもいい
わたしの詩集をふところにして
貧しいもの
罪あるもの
捨てられたもの
そういう人たちのため
愛の手をさしのべて下さったら
また、真民先生には、「ねがい」と題して
一羽の鳥を救いえば
一匹の羊を救いえば
一人の人を救いえば
二月六日の小欄で、拝観券について書きました。
拝観券には思い入れがあると書いたのでした。
捨てられないように、持って帰りたくなるような拝観券を作ろうと思ったという話です。
そうして、表をカラー写真にして、季節毎に変えるようにして、同じ季節でも何種類か用意して、それから裏に短い法話を書いてと、私なりに工夫したのでした。
その私の文章を読まれた、海外で暮らしている方から、お言葉をいただきました。
三年ほど前に日本に帰って円覚寺を訪ねてくださり、拝観券をもらって、今も大事にしてくれているのだそうです。
ラミネートで保護して、本の栞にして、裏に書かれた法話を何度も読んできたというのであります。
「思いの込められた拝観券が、私の手元にあると思うととても有り難く、また今まで以上に特別なものに感じられました」
というお言葉ををいただきました。
人を救うなどというとおこがましいのですが、一人の方でもよかったと言っていただければこの上ない喜びであります。
何かお役に立てることはないか、そんな思いで暮らしたいものです。
この頃また、僧堂の修行僧たちと共に、森信三先生の『修身教授録』を読んでいます。
森先生は、「学問・修養の目的」として、
「われわれは、一体何の為に学問修養することが必要かというと、これを一口で言えば、結局は「人となる道」、すなわち人間になる道を明らかにするため」
と説かれています。
人となる道というと、慈雲尊者は「十善戒」を説かれました。
我々僧侶であれば、真民先生の詩のように、一人でもいい、感謝されるような人になって欲しいものだと話をしました。
それから、「先憂後楽」という言葉を紹介しました。
「先憂後楽」という言葉を知っている人と言って聞いてみると、ほとんどの者は知らないのです。
「後楽園」は知っているのですが、そのもととなる「先憂後楽」は知らないのです。
『広辞苑』には、
「范仲淹、岳陽楼記」にある言葉として、
「天下の憂えに先だちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」。
天下の安危について真っ先に憂え、楽しむのは人より後にすること。
政治家の心構えを説いた語として解説されています。
この頃の政治家を批判しようというわけではありませんが、我々僧侶もこの「先憂後楽」の気持ちを持つことが大事だと伝えたのでした。
親が子を思う心もまた「先憂後楽」なのです。
親は自分が食べなくても、こどもに食べさせてあげる心は、「先憂後楽」です。
自分の楽しみなどは後回しにするのです。
いや、子どものことを思って自然と後回しになる、「先憂後楽」になっているのです。
というように、人の憂いを感じて、むしろ先に憂い、楽しみは後回しにしようという思いであります。
この言葉のもとになる『岳陽楼記』は、范仲淹の作で、范仲淹とは范文正ともいいます。
岳陽楼は、中国において、黄鶴楼、滕王閣と共に、江南の三大名楼のひとつとされる名勝です。
『岳陽楼記』で思い出したのが、
「廟堂の高きに居しては、その民を憂い、江湖の遠きに居してはその君を憂う」
という言葉です。
これは『禅林句集』を編集した時に、調べたので覚えています。
范文正公集を出典としました。
『岳陽楼記』にある言葉です。
どういう意味かというと、
朝廷にあっては人民のことを心配し、遠く野にあっては君主のことを心配するということです。
君主とか人民とか、差別があるような表現ですが、どのような状況下にあっても人々のことを思い憂い、心配するという慈悲の心を表す禅語として用います。
岳陽楼は天下の名勝ですが、そこに登って、感じる思いは人それぞれです。
長い雨が降り続いた夕暮れのさびしい時に、もの悲しい思いになる人もいます。
春になって、あたたかくなり、心はのびのびして喜びにあふれ、名誉も恥辱もすべて忘れ去り、杯を手にしてそよ風を受けながら、大きな喜びにひたる者もいたことでしょう。
しかし、「仁人」、つまり仁徳のある人は、外の世界がどのようであろうと、それによって心が動かされない、喜びも悲しもしないというのです。
そのようなことを言ったあとに、「廟堂の高きに居してはその民を憂い」という言葉が続きます。
つまり、どんな境遇に置かれても、常に人の事を心配するということです。
では、いつになったら楽しむときが持てるのかというと、
そこで「先憂後楽」なのです。
心配ごとは人々よりも先に心配し、楽しみごとは人々よりも後れて楽しむのだということになるのです。
一人でもいい、自分にご縁のある方が、生きる力を得て下さったら、涙を拭いて立ち上がってくれたらという気持ちを持っていきたいものです。
横田南嶺