洪川老師のご命日
洪川老師は、文化十三年一八一六年、大阪の福島にお生まれです。
幼くして、お父さまの薫陶を受けて学問を積まれ、十九歳の頃には、中之島で、塾を開いて、諸藩の子弟たちに儒学を教えていました。
しかしながら、学問だけでは飽き足らず、禅の道を求めて出家されました。
発憤して、禅門に入られたのでした。
この「発憤」ということについて、洪川老師の『禅海一瀾』を講義されている釈宗演老師は、次のように解説されています。
「『論語』〔述而〕に「憤せずんば啓せず、俳せずんば発せず」。
人間は何でも奮発しなければいかぬ。
奮発ということは憤ることを言う。
憤ると云うても人に向って怒ることで無く、己れに向って怒る、それだけの違いだ。
ルーテルの伝を見ると、我れ怒る時は能く説法すとある。
怒った時は平生よりも一段と精神意気の壮なる說法が出来る。
人間は怒らなければ本気にならぬ。
怒るというのは自ら怒るので、自ら怒る人ならば人に対しては怒らない。」
今の自分に対して、こんなことではいかぬと憤るのです。
宗演老師は、「ルーテル」のことも引用されているのも興味深いものです。
そうして、京都の相国寺の大拙老師について修行を始めて、更に岡山曹源寺の儀山老師について修行されたのでした。
宗演老師は、洪川老師のことを
「先師の人と為りを一言にして云うと、誠に誠心、熱烈、豪毅、英邁なる御方でありました」
と述べられています。
そんな人柄に、若きの鈴木大拙先生も心ひかれたのでしょう。
洪川老師のおかげで、鎌倉を中心に関東において禅が大いに弘まったのでした。
洪川老師のお徳をしのんで、法要を勤めました。
横田南嶺