坂村真民先生より年賀状来る
ひとつは、坂村真民先生の年賀状であります。
真民先生は、平成十八年にお亡くなりになっていますので、もう十五年前にお亡くなりなっています。
その方から年賀状が来るとはどういうことなのか。
真民先生の三女の西澤真美子さまから頂戴したのでした。
宛名はなにも書かれていませんので、一九九八年平成十年の年賀状として用意されていながら、お出しにならなかったものなのです。
平成十年というと、私が僧堂の修行を終えて、師家代行として、修行僧の指導を始めた年であります。
真民先生とのご縁は、いろんなところで話をしたり、書いていますので、詳しいことは書きませんが、私が高校二年生の時からのご縁であります。
一九八一年、昭和五十六年、私が十六歳の頃でありました。
その時からずっと、大学を卒業して僧堂に入るまで『詩国』を送っていただいていたのでした。
僧堂の修行が終わって、平成十年に先生に手紙を書こうかとよっぽど思ったのですが、当時九十歳近い先生に失礼になるかと思って、手紙を書かずに、その代わりに、黄梅院の掲示板に詩を書き続けてきたのでした。
そんなご縁が実って、坂村真民記念館とのご縁ができたのでした。
真民先生のご縁の詳細は、今公開されている、小池陽人さんとの対談その2でお話しています。
あれから二十三年経って、真民先生から年賀状をいただいたのですから、うれしいことこの上ありません。
真民先生の詩をいろんな時にご紹介させてもらっていますので、私を通して、真民詩を知るようになったという方も、この頃は少しいらっしゃいます。
小池陽人さんもその一人であります。
真民先生から、褒めていただいた思いで、年賀状を手にしています。
実に感無量。
もう一つの贈り物は、こちらは現存の方からです。
曹洞宗の青山俊董老師から、新著『般若心経ものがたり』を送っていただきました。
老師直筆の署名入りで、ご丁寧なお手紙と共に頂戴しました。
一昨年に青山老師のお寺である塩尻の無量寺で法話をして以来のご縁で、昨年も頼まれていたのですが、延期になり、今年の夏に二泊三日で、九十分の話を四座行う予定なのです。
そんな日程の調整など、すべて青山老師ご自身がお手紙でなさっているのです。
このたび米寿をお迎えになった老師であります。
おきれいな字のお手紙は拝見するだけで有り難くなります。
この本も、素晴らしい内容の本であります。
それにしても青山老師は、実によく勉強なさっていて、その法話の内容が豊かなのです。
それから、沢木興道老師、内山興正老師、余語翠厳老師などの逸話がたくさん盛り込まれていて、一層今に生きる仏の教えに触れることができます。
ざっと拝読していて、いい話だと思うものがありました。
余語翠厳老師のお話であります。
余語翠厳老師は、私は直接お目にかかることはなかったのですが、書物の上で、大きな影響を受けました。
老師のご著書はほとんど持っています。
余語老師の住されたお寺、大雄山というところは祈祷のお寺であります。
その余語老師が、ある時に青山老師に言われたというのです。
「御祈祷をたのんでくる方々に、私はいいますのじゃ。商売繁盛とか病魔退散とか、一つずつ小出しにたのまず、全部たのみなされ。全部たのむということは、全部おまかせということじゃ。全部おまかせできたら楽になりますぞ」
と。
青山老師は更に、沢木興道老師のお言葉
「全部いただく、えり食いはせぬ」、
「全部いただくとは、全部おまかせ、ということじゃ」
というのを紹介されいています。
青山老師は、
「全部おまかせするということは、もう一つ言葉をかえると、全部捨てるということになる」と説かれています。
そして、
「私の思いのすべてを捨てなければ、すべておまかせ、何でもちょうだい致しますということにはならない」と示されています。
その後に、青山老師はご自身のお弟子さんの晋山式の話を紹介されています。
晋山式というのは寺の住職になる式のことです。
そのお弟子さんは、晋山式を予定して、その半年前に癌が見つかったそうなのです。
医師の言うには、晋山式の頃が余命の尽きる頃になるというのでした。
晋山式の準備はすでに進められています。
晋山式に合わせて行う予定だった、授戒会などの諸行事はあきらめさせて、晋山の儀式のみを行うようにされたそうです。
晋山式の頃には、医師の言った通り歩くこともできなくなり、車椅子での晋山式となったそうです。
それでも二時間にわたる儀式を何とか終えて、最後の禅問答をなさったのでした。
「病気をどう受けとめるか」という問いに、その新住職は、声を振り絞るようにして、
「全部いただく、択り食いはせぬ」と答えたそうなのです。
青山老師のお弟子だけに、老師の教えが身についていたのです。
しかしながら、その住職は、晋山式の十日後に亡くなったのでした。
青山老師は、
「死の宣告の癌も「全部いただく」といえるか」
と、私たちに鋭く問いかけて、この話を結んでいます。
全部いただく、言葉でいうのは簡単です。
真民先生からの年賀状や、青山老師からの御著書などは、有り難くいただけます。
しかし、こんな悲しい定めというものも、いただくと言えるのか、自問自答しています。
新年にあたって、青山老師から、「公案」をいただいた思いです。
これから参究していく課題であります。
横田南嶺