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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.01.03
今日の言葉

こんなもの

例年のお正月には、大勢の方が年賀の挨拶にお越しくださります。

それこそ三が日、ひっきりなしに訪れてくださいます。

有り難いことであります。

和尚様方などは、ご丁寧に奉書を持って見えて、恭しく三拝してご挨拶するというしきたりであります。

これもよき伝統であります。

ところが、今年は、私自身が師匠である先代管長が亡くなって喪中であり、加えてコロナ感染が年末に増えたこととが相俟って、年始のお客さんはほとんどなくなりました。

さびしいというよりは、私自身はホッとしています。

やはり今も人と会うのは苦手であります。

講演も苦手ですが、講演よりもその前や後に人に会うことが苦手であります。

人に会うことは気を使います。

山頭火は、

やつぱり一人はさみしい枯れ草

と詠っていますが、

私は、良寛さんの、

よのなかに まじらぬとには あらねども ひとり あそびぞ われはまされり

という歌に共感します。

一人でいるのがいちばん落ち着きます。

もっとも、山頭火自身もまた、

やつぱり一人がよろしい雑草

という句も残しております。

私などは、そんな暢気なことを言っていますものの、暮れに本山に出入りのお料理屋さんが挨拶に来てくれていましたが、こちらは人が来ないというのは死活問題です。

一人がよろしいなど言っていられません。

やっぱりたいへんな状況なのであります。

知人からお手紙をいただきました。

長年、先代管長足立大進老師と懇意な方でいらっしゃいます。

その方が、ある人から今の世の様子を足立老師がご覧になったら、どうおっしゃるだろうかと聞かれたそうです。

その方は、きっと足立老師なら

「まあこんなものさ」

と答えるだろうと手紙には書かれていました。

さすが、長年足立老師とご縁があった方だけに、老師のことをよくご存じであります。

阪神大震災があった折りにも、東日本大震災が起こった折にも私は、老師のおそばにおりましたが、たいへんな状況だと認識していらっしゃるものの、どこか達観されたところがございました。

私などは、東日本大震災で被災地に行かなければ、お見舞いをしなければ、支援をしなければとアタフタしていました。

それに比べて、足立老師は、動揺することなく泰然自若でありました。

これは、もちろんのこと修行のお力だとは思いますが、ご自身が戦中戦後の体験をなさっていますので、少々のことでは驚かれないのだと感じたものです。

作家の五木寛之先生と対談した折にも、五木先生が、戦争の体験など何にもならないと仰せになったので、しかしながら、あの体験を経てこられた方は、大震災などに遭ってもどこか泰然としているところがあるように思いますと申し上げたことがあります。

そのとき五木先生は、「そうだね、どんな焼け跡にも花が咲くということくらいは学んだ」と仰ったのでした。

五木先生も足立老師と同じ年の生まれでした。

「こんなものさ」というのは漢字で書くと、「如是」でありましょう。

この通りという意味です。

そういえば老師は、御遺偈にも

「諸仏来也如是
諸仏去也如是
今我如是」

と書き残されていました。

そんなことを思うと坂村真民先生のことを思い起こしました。

真民先生は、五十歳の時に、道後にある一遍上人の誕生地である宝厳寺にお参りになり、そこの一遍上人像に出合った感動されました。

裸足で、質素な法衣をお召しになって歩かれるお姿です。

南無阿弥陀仏と書いた念仏札を配って歩く「賦算」のお姿であります。

一遍上人は、六十万人の人たちに念仏札を配ろうと発願されました。当時の日本人がそのくらいの人口だと思われていたのでしょう。

しかしながら、二十五万少しで終わられています。

その一遍上人の願いを受け継いで、真民先生は、念仏札のかわりに詩を作って、個人詩誌『詩国』を配ろうと決意されたのです。

『詩国』は毎月発行され、五百号まで続きました。

私がご縁をいただいた頃には毎月千二百通を送っておられたのでした。

私も高校生の頃から、そのひとりに加えていただいていました。

詩を作りご自身で封筒の宛名を書き、封をして投函するというたいへんな作業をお一人でなさっていたそうです。

その詩作の原動力となったのが宝厳寺の一遍上人像でした。

私も平成二十四年にお参りさせていただきました。

ところが、その宝厳寺が平成二十五年の夏に火災で燃えてしまいました。

本堂も、一遍上人像も燃えてしまったのでした。

たいへんなことです。一遍上人像は国の重要文化財でありました。

もっとも一遍上人はお亡くなりになる前に、

持っていた書籍のうち一部を書写山の僧に託して奉納した後、手許に残した自著及び書籍などすべてを「阿弥陀経」を読み上げながら自ら焼却したのでした。

「一代聖教皆尽きて南無阿弥陀仏に成り果てぬ」

と詠われたのです。

最後には、そのお像も無くなったのでした。

私は『坂村真民全詩集第七巻』にある、「消えないもの」という詩を思っていました。

 消えないもの

どんな大きな伽藍でも
いつかは壊れてくる
それは歴史が示している
だがいつまでも
壊れないものがある
それは愛と慈悲である
この二つはエーテルのように
宇宙からきえることはない

そんなことを考えていた頃に真民先生の三女である西澤真美子さんと対談する機会があって、そのことを尋ねてみました。

西澤さんは即答されませんでした。

しばらく経ってからお手紙をいただきました。

そのなかに、こう書かれていました。

すべてが燃え切って灰になったあとに、風だけが吹き抜けていました。

その風の中に、父は一遍上人のお姿を見ていたと思います。

立像ではなく、生きたお姿を。

山河草木、吹く風浪の音の中に生きていらっしゃるお姿です。

そして何と言ったでしょう…

ひとつ言葉が浮かびます。

「そういうもんだ」。

西澤さんが仰ったのは、長い言葉ではありません。

「そういうもんだ」、一言です。

しかし深い深い一言です。

そういうものなんです。

この世に生きるとは、

「まあこんなものさ」であり、

「そういうもの」なのです。

思いもかけぬ目にあうこともあります。

つらい目にも、かなしい目にも遭います。

しかしこの世に生きるとは、

「まあこんなものさ」

「そういうもんだ」

と受け止めて生きていくしかありません。

山頭火が一人がさみしいといい、一人がよろしいという、人間の揺れ定まらぬ心もまた、「そういうもの」なのでしょう。

 
横田南嶺

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