PHP
一月号から、毎月禅語の連載を始めていますので、贈呈していただいています。
先月にも書いたと思いますが、私の書と禅語の解説、わずか四百字ほどのものですが、掲載してくれています。
ところが、その数ページ前に金澤翔子さんの書があるので、どうにも私の拙い書は見劣りしてしまいます。
金澤翔子さんの今月の書は、
「福ハ内
鬼モ内」
雄渾な書であります。
そこにお母さまでいらっしゃる金沢泰子さんの文章が入っています。
私の書は、「日出で乾坤輝く」、二月号がお正月に出るので、正月らしい言葉を選んだのでした。
翔子さんの書に比べて、愕然としています。
今月号の特集は、「心が「前向き」になるいい言葉」というものです。
特集には、専門家からのアドバイスという章があって、今月は精神科医の西多昌規先生の「言葉を前向きに「変換」してみよう!」という文章があります。
3D接続詞というのを使わないようにと書かれています。
3D接続詞というのは、
「でも」「だって」「どうせ」というのです。
こういう言葉を使っていると、同じ言葉を使う者が集まってくるそうで、ネガティブな口癖の人同士が集まって、不満ばかりの人生になると指摘されています。
そういえば、亡くなった前管長の足立老師にお仕えしていた時に、老師の前でぜったい口にしてはいけない、禁句というのがあったのを思い出しました。
それは「でも」「だって」「しかし」でした。
それから、足立老師は、「どうも」という言葉もお嫌いで、これも老師の前で口にしていけませんでした。
それから「すごい」も駄目でした。今の若い者は、なんでも「すごい」ですましてしまう、もっと日本語は表現が豐かだのに、「すごい」しか言わないと言葉が貧しくなるというのでした。
ついでに思い出しましたが、「みんなが言っているから」という言葉も駄目でした。
人のせいにするな、自分の意見を言えということでありました。
更に思い起こすのが、「はなはだ僭越ながら」というのも禁句。
僭越だと思っているのなら、もの言うなというのでした。
それから、カタカナ言葉も禁句で、日本の言葉で表現するようにとのことでした。
思い出すと先代には、禁句が多かったのでした。
長年お仕えしてきましたので、今でもこのような言葉は使わないように身に付いています。
西多先生は、「でも」「だって」「どうせ」の3D接続詞が出そうになったら、「そうですね」「なるほど」「やはり」など肯定的な接続詞を使うようにと指摘しています。
これも先代に長くお仕えしてきましたので、「でも」「だって」「しかし」とは言わずに、「そうですね」「なるほど」「その通りです」と申し上げてきたように思い起こしました。
西多先生は、精神科医になりたての頃、毎日の仕事がたいへんで、「やはり自分には無理かも」とまで悲観的に考えていたそうです。
そんな時に上司の方から、
「休むのも仕事のうちですよ」
と言ってくれたそうです。
それまで、患者の為には休むなんてけしからんと思っていたのが、ホッとされたそうです。
緊張や責任感を和らげる言葉も、前向きの言葉になると書かれていました。
歌手の岩崎宏美さんの巻頭インタビューも興味深く拝読しました。
歌のことなど、全く無縁の世界にいる私ですが、修行に出るまでの歌手のことならば、少しは記憶に残っています。
岩崎宏美さんという方は、私の記憶にまだ残っている歌手の方です。
きれいなお声だったことだけを覚えているのですが、その裏では随分とご苦労なさっていたそうなのです。
三十歳で御結婚なさって、二人のお子さんに恵まれるのですが、夫婦生活はうまくゆかずに、まだ二人の子が小さな時に離婚されました。
養育権をもった岩崎さんは、二人の子どもを育てながら暮らしていたそうなのですが、強引に子どもを前夫に引き取られてしまったというのです。
「生木を裂かれるような別れ」と書かれています。
なんとか子どもを取り戻そうと、家庭裁判所に行って、わらにもすがる思いで調停を受けていたそうです。
そんな時に一人の女性の調停委員の人が、
「あなたは仕事をしたいんでしょ?だったら向こうに育ててもらいえばいいじゃないの。せっかく子どもを育ててくれると言っているんだから、ありがたい話じゃないの」
と言ったそうなのです。
無神経な言葉というか、こんな事を平気で口にする人もいるものなのです。
岩崎さんは、聞いた瞬間、うちのめされて、立ち上がることができなかったと言います。
人を傷つける言葉というのは、それを言った本人はまったく気がついていないことが多いのでしょう。
それと対照的に、岩崎さんをデビュー以来かわいがってくれていた、さだまさしさんが、
「いつもニコニコして笑っているけど、けっこう苦労してたんだね」
と声をかけてくれたそうです。
それ以上苦労の中身は詮索しないのが、さだまさしさんの優しさだというのです。
「なにがあってもさださんならわかってくれるという安心感に救われた」と書かれています。
言葉は難しいものです。
坂村真民先生に、「とげ」という詩があります。
刺さっていたのは
虫メガネで見ねば
わからないほどの
とげであった
そのとげをみながら思った
わたしたちはもっともっと
痛いとげを
人の心に刺し込んだりしては
いないだろうかと
こんな小さいとげでも
夜なかに目を覚ますほど痛いのに
とれないとげのような言葉を
口走ったりしなかったかと
教師であったわたしは
特にそのことが思われた
という詩です。
常に反省しなければと思います。大晦日ですから、今年一年を反省します。
それからなんといっても、今月号の巻頭にある話には涙を誘われました。
三十八歳の青年ですが、罪を犯し服役されたそうです。
そのために妻子とも別れてしまいます。
しかし、その彼が服役を終えたあとも懸命に生きているのは、初公判の朝、アクリル板越しに言われた、元妻の言葉があったからだというのです。
この言葉を読んで、私も涙を流しました。
これを、ここに書いてしまうと申し訳ないので、PHP二月号でご覧ください。
横田南嶺