名伯楽
この言葉を、須磨寺で小池陽人さんと対談して思い起こしました。
伯楽は、『広辞苑』によると、
「中国古代の、馬を鑑定することに巧みであったという人。
もとは天帝の馬をつかさどる星の名」
という解説が第一にあって、
それから「よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人」
という説明があります。
更に、『広辞苑』には
「伯楽の一顧」という言葉も説明されています。
これは、戦国策(燕策)にあるという話で、
「(市場で売れなかった馬が、伯楽が1回ふりかえって見ただけで、10倍の売値になったという故事から)世間に埋もれていた人材が、名君によって見出されること」
というのであります。
「世に伯楽ありて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」
という言葉もあります。
千里の馬というのは、一日に千里走ることができるような名馬のことです。
千里走る素質のある馬は、いつの時代にもあるのですが、それを見抜き認める伯楽がなければ、その力を発揮することはできないということです。
それほどの伯楽というのは得がたいものです。
一昨日の小欄に、小池さんとの対談のことを書きました。
対談していて、
「小池さんの話が全然出ていない、全然小池さんらしくない」と、指摘してくださったのが、撮影してくれていた山端さんという方でした。
初めは驚きました。
カメラをもって撮影している方が、私たちに何か指示するということは、あまり体験したことがありませんでした。
山端さんは、単に撮影するだけでなく、プロデューサーであり、演出家でもあったのです。
小池さんのYouTube法話のきっかけは、この山端さんに出合ったことによるのだそうです。
円覚寺にお越しになって、話をうかがっていて、山端さんとの出会いが大きかったと言われ、その話しぶりからも、小池さんは山端さんに全幅の信頼を寄せている様子がうかがわれました。
今回、須磨寺に行くのにも、この山端さんという方に会ってみたいという思いもありました。
いきなりの発言に、「手厳しいことを言うな」と感じたのですが、小池さんは実に素直に山端さんの言われたことに従い、次からは、小池さんらしく発言なさるように変わったのでした。
その見事な変わりようにも、お二人の信頼関係の深さを思いました。
対談を収録した後に、いろいろと山端さんにもお話をうかがうことができました。
実に貫禄のある方だと思っていたのですが、私よりもお若い方だと分かって驚きました。
IT関係の企業の方だそうです。
須磨寺の近くにお住まいで、この須磨寺と小池陽人さんの魅力、仏教の素晴らしさをもっと多くの人に伝えたいという強い思いをもっていらっしゃいます。
そうして、小池さんにYouTube法話をもちかけたそうなのです。
もちかけられても、受け容れなければ話は終わってしまいます。
小池さんのように、大本山須磨寺の副住職という立場もあり、須磨寺には既に大勢の参拝者もいて、安定した立場にあると、そのようなことに挑戦しようという気持ちには成りがたいと思います。
しかし、小池さんは、山端さんの提案を受け容れて、YouTube法話に三年ほど前に挑んだのでした。
かなり、手厳しくいろいろと小池さんには、アドバイスされたように感じました。
緊急事態宣言が出されている間、小池さんは毎日法話を配信され続けていました。
毎日行うだけでも大変です。
それを撮影される山端さんも大変だと思いますが、やり直しを命じることも何度かあったそうです。
山端さんにうかがうと、自分の母親が聞いても分かるだろうかという判断基準で聞いて、分かりにくいとやり直してもらったということでした。
特別仏教に知識のない人でも分かるだろうかという第三者の目で聞いて、やり直しをさせたりしたそうです。
それをまた素直に受け容れて、小池さんはやり直しをなさったそうです。
話をしていて熱が入って、早口になってくると、山端さんが撮影しながら身振りで、ゆっくり話すようにと指示を出されたりしてきたそうなのです。
そうして、お二人の努力の結晶が、「小池陽人の随想録」というYouTube法話で、今やチャンネル登録者は二万八千人もいらっしゃいます。もうすぐ三万人になるでしょう。
それだから、伝わるものがあるのだと思いました。
「伝える」と「伝わる」とは異なるものです。
こちら側が、伝えたつもりでも、相手には伝わっていないことがよくあります。
私たちの世界では、この勘違いをしていることが多いのです。
伝えたつもりになって、それでよしとしています。
でも何も伝わっていないのです。
小池さんの法話を拝聴して、一番に感じたのは、伝わってくるという感覚でした。
これは、小池さん天性のものか、小池さん自身が苦労して培われたのか、誰かが指導されたのか、私はそんなことにも興味をもっていたのでした。
分かりました、名伯楽がいたのでした、山端さんという。
目線なども細かく指導されたのだと思います。
YouTube法話を拝見していると、あたかも私ひとりのために小池さんが語りかけてくださっているように感じるのです。
それから、対談を撮影して下さっている間にも、感心しましたのは、山端さんはカメラをのぞきながらも、真剣に小池さんを見つめて、何度も何度も大きく首を動かして頷かれていることでした。
撮影の時は、法話をする人と、撮影の人とふたりきりになります。
相手が無反応なのが、一番話しづらいのです。
ところが、たとえひとりでも大きく頷きながら聞いてくれていると、話しがいがあるものです。
「小池さん、いいよ、いいよ」と言ってくださる声が聞こえるように、何度も何度も頻りに頷きながら撮影されているのでした。
それに呼応するかのように、話が湧いてきて、力が入っていくのだと感じました。
おふたりは、名馬と名伯楽だと感じました。
名馬と名伯楽の出会いが、小池さんのYouTube法話「小池陽人の随想録」なのだと分かりました。
私の法話の撮影はというと、カメラマンはいつも別室に行ってしまって、他のことをしています。
私は、いつもひとり空しく話をしています。
これだから、小池さんの法話とは違いが出るのだなと、納得したのでした。
もっとも私は、名馬どころか、その辺をうろつく驢馬でありますから致し方なし。
世に伯楽ありて、然る後に千里の馬有りなのです。
横田南嶺