念願の須磨寺へ
いつも大学の講義を終えると、すぐに鎌倉に帰るのですが、二十二日の午前中の講義を終えて、そのまま神戸に向かい、須磨寺を訪ねました。
「すまでら」、言葉の響きだけでも、明るさ、清澄な感じ、雅な趣がします。
源氏物語や、平家物語の舞台であります。
雅なうちにも、哀愁も漂う思いを抱いていました。
実際に訪れた須磨寺は、明るく開放的で、清々しく、それはそのまま小池陽人さんの人柄と一致しました。
禅寺というのは、やはり寄りつきがたい印象が強いと思われます。
円覚寺なども、石段を登って山門を仰ぎ見ると、入りがたいという思いを持ちます。
それに対して須磨寺の門は、いかにもどうぞお入り下さいと、招き入れてくださる感じがしました。
山門には仁王様がお祀りされていますが、何となく親しみを感じる仁王様でした。
そもそも、先日のYouTube対談で、わざわざ鎌倉までお出かけくださった小池さんに、お礼の為に須磨寺にお参りしようと思ったのでした。
お参りだけして帰ればいいと思っていたのですが、小池さんからYouTubeの対談を頼まれてしまい、こちらがお願いした後ですので、断るわけにもゆかず、お引き受けしたのでした。
しかし、大失敗。
後悔すること頻りです。
なんといっても、私が「しゃべりすぎた」のです。
「舌禍」という言葉がありますが、まさにその通りなのでした。
円覚寺での対談は、私が小池さんにいろいろお話をうかがうというものでしたので、今回は小池さんが私にいろいろ聞くという構成であります。
聞かれる訳ですから、答えなければなりません。
対談は四回に分けて公開してくださるそうで、四回分を収録しました。
はじめに生い立ちから、禅との出会いについて聞かれました。
そこで、二歳の時の祖父の死から、死んでどこにゆくのか、死というのは一体どういうものなのか、疑いをもったのが、そもそもの始まりでした。
それから、天理教やキリスト教の教会、浄土真宗のお寺やいろんな処を訪ねる中で、禅寺にたどりついて、そこで禅僧の姿を見て、ここに自分の問題を解決してくれる道があると思ったのでした。
そんな話を、手短に話したつもりが、結構な時間になってしまいました。
第二回目の収録では、坂村真民先生との出会いと、真民詩について聞かれました。
これは、得意中の得意のはなしですから、高校生の時に真民先生の本と出会い、手紙を書いて文通が始まったことから、円覚寺の黄梅院の掲示板に詩を書き続けて来たことや、それから東日本大震災を機に真民詩を法話でよく引用し、詩の朗読をするようになったこと、坂村真民記念館とのご縁、などなど話をしたのでした。
そんな話をしたところで、撮影して下さっている方から、一声かかりました。
「小池さんの話が全然ない、横田管長がしゃべって、小池さんがうなずいているだけになっている。これは小池さんのYouTubeチャンネルですから、管長は小池さんにも発言を促すようにしていただけると有難いです」
と言われて、「しまった。調子に乗ってしゃべりすぎた」
と大後悔したのでした。
第三回目の収録からは、小池さんもよくお話くださったので、どうにか良かったのですが、一回目と二回目は、完全に私の「しゃべりすぎ」で終わってしまい、申し訳のないことで、反省頻りなのです。
五祖法演禅師の言葉に、
「勢い尽くすべからず、好語説き尽くすべからす」
というのがあります
勢いに乗りすぎてはいけない、よい言葉でも説きすぎてはいけないというのです。
それが、調子に乗りすぎ、説きすぎてしまったのでした。
それにも関わらず、須磨寺では小池さんにお世話になりました。
境内もいろいろご丁寧にご案内くださいました。
須磨寺には、平敦盛の供養塔がございます。
敦盛の首塚があり、首を洗ったという池が残り、源義経が首実検した折りに腰かけた松などもございました。
わずか十六歳の命、悲しい物語であります。
敦盛が吹いていたという青葉の笛も拝見させてもらえました。
小池さんの祖父にあたる前管長の小池義人和上は、戦後シベリヤに抑留されていたという体験をお持ちの方でした。
その体験記も拝読しました。
境内には、シベリヤ抑留の方々の供養塔もございました。
供養塔の前に立つと「異国の丘」の歌が流れてきました。
死線を乗り越えて帰国された体験も影響されたのか、義人和上は須磨寺の境内に、皆が楽しんでお参りできるようにと実に様々な微笑ましい工夫がなされていました。
「ござる」などもそうでした。
私も「みざる、いわざる、きかざる」の三猿は存じ上げていましたが、ここではさらに二猿加わって「ござる」、それも頭を撫でるとお猿が動くのです。
開かれて親しみやすく、明るく楽しいお寺須磨寺でした。
そんなお寺の小池陽人さんとご縁をいただいて有り難い限りです。
私が訪ねる前日は、お大師様のご縁日の法話があって、私とのご縁や坂村真民先生の詩を紹介してくださったようなのです。
弘法大師様の言葉を引用されて、小欲の思いを持つことによって、わずかなことにも満足できることから、現代の環境問題に触れられて、このまま地球温暖化が進むとどうなるかわからない、人間を滅ぼすのは人間自身なのかもしれないと警告を鳴らされたようです。
そして、小欲知足を説かれ、お互いが自分たちだけがよいという考えではなく、次世代の方のことも考えて今なすべき役割を果たしてゆかなければとお話くださったとのことでした。
そして最後に真民先生の「あとからくる者のために」を紹介してくださったのでした。
あとからくる者のために
あとからくる噺のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ
念願の須磨寺を訪ねて、しゃべりすぎを後悔したものの、あたたかい小池陽人さんのお人柄に触れて、有り難いことこの上ない思いでありました。
ご縁に感謝であります。
横田南嶺