法話ができるまで
おかげさまで、好評であります。
何人もの方から、お礼の言葉を頂戴しました。
毎月の日曜説教は、毎回どんな内容にしようか考えるものです。
毎回お聞き下さる方が多いので、同じような話はできません。
日曜説教が終わったその時から、次の日曜説教はどうするか、工夫が始まります。
長らく構成を練って、半月前には、原稿を書き上げます。
そしてしばらく寝かせて、一時忘れ去るくらいに放置しておきます。
そうして数日前に、もう一度思い起こして、おかしいところはないか、違和感の残るところはないか考えながら書き改めます。
今月は、なんといっても幸田弘子先生の訃報に接したのが機縁でした。
そこで、今年の朗読会にはお見えになっていたのになと思い返し、更にエルトゥールル号遭難事故の話を朗読したことを思い起こしたのでした。
そこからエルトゥールル号事故の話をしよう、明治時代のすばらしい日本人の心を伝えようと思ったのでした。
そこに頃合いよろしく、毎日新聞のコラム記事にエルトゥールル号事故に関して、今もトルコの青年が、九州の被災者支援のために、エルトゥールル号事故の話の本を小学校になどに寄付して下さっているという話が載りましたので、これも使おうと思いました。
それから、更にこの事故の話から、何を学び、何を伝えたいか考えますと、小泉八雲が『日本の面影』に書かれている、当時の日本人の幸福観を紹介しようと思いました。
それを調べているうちに、エルトゥールル号事故の起こった年と、小泉八雲が来日した年とが同じだということに気がつきました。
これは、二つの話をつなげるにはちょうどいいと思いました。
そうして、幸田弘子先生の訃報の話をもってゆくためには、はじめに今年一年を振り返って話をして、喪中葉書が届き、今年お亡くなりになった人を思うことにつなげて、
幸田弘子先生の話題にもってゆく、そこからエルトゥールル号の話へとつなげてゆくという流れを考えます。
そうして、その同じ年に来日した小泉八雲は当時の日本人をどう思っていたのか、話のテーマを絞り、
人の幸せというのは、自分だけ幸せになることではなくて、周りのみんなが幸せになることにかかっているのだという、大事なことを伝えて、
幸田先生とのご縁にもとになった、坂村真民先生の「二度とない人生だから」を朗読して終わりにしようと考えたのでした。
法話で大事なことは、構成であります。
どんな話からはじめて、どのようにもってゆき、大事な話題へとつなげていって、最後に伝えたいことをはっきりと伝える、
そんな工夫をしているのであります。
こんな裏話を知って、法話をもう一度聞かれると、新たな味わいがあるかと思います。
幸いにも動画はいつでも観られますので、どうそ、ご笑覧くださいませ。
こんなことを書きながらも、来月の日曜説教はどうするか、考えています。
禅の語録に、
「乾竹に汁を絞る」という言葉がありますが、乾いた竹から汁を搾るという意味です。
乾いてもう汁気はない、そんな竹からなおも汁を搾ろうというのです。
私の頭も段々乾いてきまして、汁を搾るのに苦心します。
横田南嶺