四種の迷い
岩波文庫の入矢義高先生による現代語訳を紹介します。
「師は言った、「君たちの一念の疑いは、(四大のうちの)地に妨げられて生まれたもの。
君たちの一念の愛欲は、水に浸みこまれて生まれたもの。
君たちの一念の瞋は、火に焼かれて生まれたもの。
君たちの一念の喜びは、風に吹き上げられて生まれたものだ」
というのであります。
この世の中の有り様というのは、四種の相があると仏教では説かれています。
それは、「生住異滅」の四種です。「四相」とも申します。
こちらは、岩波の『仏教辞典』の解説によりますと、
「諸法が生じ、存続し、変化し、消滅するという四つの変遷のすがた」
と表しています。
「つくられた法、つまり無常なる法が必ず具えている四つの特徴(相)をいう」のであります。
専門的には、説一切有部の基本的な教理であり、『倶舎論』などに詳しく説かれるものであります。
この四つが人間の身においては、「生老病死」として現れているのです。
「生」は同じです。
「住」という存続することが、人間においては、「老」なのであります。
「異」という変化するということが、人間においては「病」として現れています。
「滅」はそのまま「死」にほかなりません。
この生住異滅の四相は、地水火風という四つの元素が、諸々の条件によって変化することによってもたらされるものであります。
そして、『臨済録』では、この地水火風の四つが、人間の迷いを引き起こす原因になるのだと説かれています。
迷いというのは、「疑愛瞋喜」の四つで表されます。
「地」の妨げによって、疑惑が起こり、「水」の妨げによって、愛情が起こり、「火」の妨げによって、憤怒が起こり、「風」の妨げによって、喜悦が起こると説かれています。
そうして、更に『臨済録』では、
「もしこのように会得できたら、外境に振りまわされず、どこででもこちらが外境を使いこなす」ことができると説かれているのです。
人間の、疑惑や愛情や憤怒や喜悦といった迷いの感情は、地水火風の元素がいろんな条件によって仮に現れたものだと知ることなのです。
風は気圧の高低差によって生じているだけのもので、吹いていてもやがて弱まっておさまると知ることです。
そのように知っていれば、風が吹いていることに対して冷静に対応すればいいだけであって、それ以上に振り回されることはありません。
むしろこの風を積極的に活用しようとすることも可能であります。
疑惑も愛情も瞋恚も喜悦も、それぞれ何らかの条件によって生じたものであり、それがしばらく止まり、やがて変化して消えるものです。
そのように知っておけば、冷静に対応できます。
それらの感情に振り回されるのではなく、むしろ積極的に生かしてはたらかすこともできるようになります。
臨済禅師は、
「諸君、今こうして君たちが説法を聴いているのは、君たちの四大がそうしているのではない。
(君たちその人)が自らの四大を使いこなしているのだ。
もしこのように見究め得たならば、死ぬも生きるも自在である」
と説かれています。
四大は地水火風の四つの構成要素です。
感情に振り回されるのではなく、こちらが主体性をもって調えてゆくのです。
この新型コロナウイルスにしても、「生住異滅」をたどるのです。
何らかの原因によって生じて、とどまり、変化してやがて滅するのです。
そのように知って、こちらが主体性をもって、冷静に対応してゆくだけのことであります。
横田南嶺