偉人の偉大さ
素晴らしい偉人について学んで、よし自分もそのようになろう、あるいはなれなくても、少しでも近づいてゆこうと思うことは、人間を向上させる力になります。
ところが、その偉人でもあまりにも偉大すぎてしまうと、とても自分などには及びもつかない、なれそうにもないとあきらめてしまうことにもなりかねません。
こういうことが、偉人教育の難しさだと、教師の方からうかがったことがあります。
そんな偉人の話でも、何か親しみを覚えるような一面があると、ホッとしますし、自分にも何とか近づけるようになるのではないかと感じるものです。
偉人の、あまりにもの偉大さばかりに目を向けるのではなく、偉人を身近に感じることが大切なのだと思います。
ただいま、円覚寺のYouTubeチャンネルで、教学部長の松原行樹和尚が、功徳林法話を配信させてもらっています。
第二回目の法話は「仏のいのち」という題であります。
行樹和尚の、お兄様の五十回忌に因んだお話が胸を打ちます。
私は、行樹和尚の祖父である松原泰道先生のお世話になりました。
そして、泰道先生にとっては初孫になる子が、生後わずか二日ばかりでお亡くなりなった、その悲しい話を何度もうかがったものです。
今年の夏に泰道先生のご命日にお墓参りをした折りに、そのお孫さんの五十回忌の卒塔婆が建てられているのを目にして、私も手を合わせて読経させてもらったのでした。
実の父である松原哲明先生の悲しみようは、はかりしれません。
まして況んや、ご自身のお腹を痛められた母親の悲しみは、想像もできません。
祖父である泰道和尚も、涙を流しつつ、その涙が掛からないように、顔を背けて抱かれたという行樹和尚のお話には、胸打たれました。
泰道先生も、哲明先生も、この禅の道の偉人であります。
私にとっては、お二人とも仰ぎ見る方であります。
そんな偉大なお方でも、実の孫、実の子には、悲しみに暮れるのであります。
そのようなお話をうかがうと、仰ぎ見る先生方にも近づき得るような思いがするのであります。
その五十回忌で、感じられた行樹和尚の思いを、是非皆さまにも聞いていただきたく思います。
偉人というと弘法大師を思います。
日本の仏教では、これほどの偉人はいないといっていいでしょう。
しかし、弘法大師という方は、あまりにも偉大すぎて、私のような凡愚の僧にはとても近寄りがたい、あやかろうなどとは思うこともできないのであります。
私のふるさとでは、橋杭岩というのが残っています。
弘法大師が一夜のうちに、作られた沖合の島にかける橋の杭なのです。
子どもの頃から、そんな話を聞くと、とても遠い存在だと思い込んでいました。
ところが、先日須磨寺の小池陽人さんが、YouTube法話で、
「空海の悲しみ~悲しい時は悲しんでいい~」という法話をなさっていて、それを拝聴して弘法大師への思いが変わりました。
弘法大師がもっとも信頼していた知泉という僧が、弘法大師よりも早くお亡くなりになったというお話でした。
弘法大師の甥であったようで、十五歳年下でありました。それが弘法大師よりも十年も早く、病の為に高野山で亡くなったのでした。
その時の弘法大師の言葉を、小池さんが法話で紹介してくれていました。
哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉
復(また)哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉
重ねて悲しい哉
という言葉でした。
この言葉を語られる小池さんの目にも涙を湛えられているように見えました。
こちらの法話もまたご覧いただければと思います。
あれほどの大偉人である弘法大師でも、我が弟子の死に、これほどまでに悲しみを顕わにされているのかと思うと、私も深く心打たれました。
偉人の偉大さというのは、却って平凡なるところにあると思いました。
期せずして、松原泰道先生や哲明先生の悲しみ、そして弘法大師の悲しみを続けて学ぶことができました。
坂村真民先生の
かなしみを
あたためあって
あるいてゆこう
という言葉を思い起こしました。
横田南嶺