呼吸に意識を集中しなさい。ほんとうは野の花のように私たちも生きられるのです。
聖心会シスターの鈴木秀子先生の本を久しぶりに紐解いていました。
パラパラとページをめくっていると、
「呼吸に意識を集中しなさい。
ほんとうは野の花のように
私たちも生きられるのです」
という言葉が目にとまりました。
『今、目の前のことに心を込めなさい』という題の本の中にあります。
いい言葉だなと思って、その章を読みました。
生命科学者の柳澤桂子先生の話が載っていました。
柳澤先生は、長らく病の為に苦しまれたのでした。
少しずつ回復してようやく電動の車いすで動けるようになり、外に出掛けられるようになったのでした。
桜の季節、桜の花の下を電動車いすに乗っていい気持ちで移動されていた時の事、
「きれいに装いを凝らした見知らぬご婦人が、通りすがりに、電動車椅子に乗っている柳澤さんに身をかがめて、「大変でいらっしゃいますね」と声をかけられたそうです。
楽しい思いが一瞬に変わりました。
「同情なんかしてもらいたくない。あんなきれいなかっこうして、元気いっぱいで、こんな私を哀れんでなんかもらいたくない」
という気持ちが起こったのでした。
そのまま桜の下を進みながら、胸がむしゃくしゃしたそうです。
でもそこでふと思ったのでした。
「あの婦人は、単に私が車椅子に乗っているのを可哀想だと思ったに違いない。
温かい心で優しさを溢れさせてその気持ちを伝えてくれたのです。
親切な言葉をかけて今は気持ちよく歩いているに違いないと思ったのです。
そして、むしゃくしゃしてわめいているのは、自分の頭の中だけだ」と。
そこで柳澤先生は、呼吸に自分の意識を移して、頭で考えることをやめたのでした。
鈴木秀子先生は、この話を引いて、
「頭で考えることをやめると、野の花のように楽に生きられます。
どんな雪の中でも、野の花は、雪にうずもれながらも春を待っています。
文句なんか言いません。
強い風がきても、しなやかにしなって、また春が来るのを待っています。
野の花は、頭を使いません」
と書かれています。
頭を使わないというのは、「無分別」であり、「無心」のことです。
更に鈴木先生は、
「在ることが大事。
あなたが存在することが大事。
今、ここにいること。
あなたがあなたで在ること。
誰かになる必要はない。
何かになるために努力はしなくていい。
あなたは今在るあなたでいいのだ、ということに焦点を合わせます」
と仰っています。
これは、臨済禅師の説かれる「無事」に通じます。
坐禅は、まさに頭の働きをやめて、この「無事」に坐ることです。
そうすると、鈴木先生は、
「あなたがちょっとでも平和を築けば、それは波動に乗って全部繋がっていきます」というのです。
そのようにして、穏やかな慈悲の思いは周りに伝わってゆくのです。
これは、仏教の理想でもあります。
コロナ禍でしばらく鈴木先生にお目にかかっていないのですが、久しぶりに先生の言葉に触れて、心がホッとする思いがしました。
皆さまにもお裾分けです。
横田南嶺