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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.10.21
今日の言葉

自死について

毎日新聞の十八日朝刊に、「人生相談」の欄があって、作家の高橋源一郎先生がお答えになっています。

先日は息子が三年前に自死して、それ以来立ち直れないという五十代の女性の方の相談でありました。

ご子息は失踪して遺書は無く、身元の分かる物も持たずに、縁の無い処で亡くなったそうです。

高橋先生は、

「わたしの周りでも、何人もの、近しい人たちが、自ら死を選んできました。そのたびに、考えたのです。

いったいなぜ、彼らは死を選ばなければならなかったのか」

と親身になってご回答くださっていました。

「答えはないのだと思いました。

……「死」が、暗く冷たいなにかが、「闇」が彼らを抱きしめた。

「闇」に抱きしめられることを無上の安らぎと感じるほどに、彼らは、疲れ、傷ついていたのかもしれません。

そう思うようになって、決めたことがあります。現実の前で、わたしは無力だった。

「闇」から、彼らを引き戻すことができなかった。

だから、せめて、少しでもいいから、「生」に、「光」の方に振り向いてもらえるような「ことば」の作り手になりたいと」

と書かれていて、そんな深い思いで作家をなさっているのだろうと尊く思いました。

そして高橋先生は、その母親に、

「こう思ってください。

「わたしのところに来てくれてありがとう。

短い時間だったけれど、幸せだった。

今度会うことがあったら、抱きしめさせて」と」

と書かれていたのでした。

宗教者の中には、自殺は自らの命を絶つのだから、重い罪だと説かれる方もいます。

それは恐らく自死を思いと止まって欲しいという強い思いから言われるのではないかと察します。

しかし、その一言は、身内を自死で失った方には、深く突き刺さります。

ただでさえ、身内を失った悲しみに暮れている時に、故人がまるで罪人にように言われては、更に一層深い闇に突き落とされる思いでありましょう。

花園大学教授の佐々木閑先生は、「自死」について独自の見解をお持ちであります。

ご著書の『日々是修行』(筑摩書房刊)には、「自殺は悪ではない」という章があります。

その中で、佐々木先生は、まず

「一部のキリスト教やイスラム教では、せっかく神が与えてくださった命を勝手に断ち切るのだから、それは神への裏切り行為として罪悪視される。自殺者は犯罪者である」と書かれています。

そういう教えもあるのでしょう。

では仏教ではどうなのか、「自殺」と書くからには、「殺生戒」を犯すことになるのでしょうか?

佐々木先生は、

「では仏教ならどうか。仏教は本来、我々をコントロールする超越者を認めないから、自殺を誰かに詫びる必要などない。

確かに寂しくて悲しい行為ではあるが、それが罪悪視されることはない」

と言われるのであります。

もちろんのこと佐々木先生は、

「人は自殺などすべきではないし、他者の自殺を見過ごしにすべきでもない。

この世から自殺の悲しみがなくなることを、常に願い続けねばならない」

と仰るのですが、

「しかしながら、その一方で、自分の命を絶つという行為が誇りある一つの決断だということも、理解しなければならない。

人が強い苦悩の中、最後に意を決して一歩を踏み出した、その時の心を、生き残った者が、勝手に貶めたり軽んじたりすることなどできないのだ」

と語っておられるのであります。

佐々木先生は、律の専門家ですので、比丘たちの様々な行動を検証しての見解なのであります。

そして、

「自殺は、本人にとっても、残された者にとっても、つらくて悲しくて残酷でやるせないものだが、そこには、罪悪も過失もない。

弱さや愚かさもない。

あるのは、一人の人の、やむにやまれぬ決断と、胸詰まる永遠の別れだけなのである」

と書かれています。

私も佐々木先生のご見識には、全く賛同しています。

『日々是修行』は、朝日新聞東京本社版にコラムとして連載されたものをまとめた本です。

この自殺について書かれた時には、多くの方から礼状をいただいたとうかがいました。身内を自死で亡くされた方々からだったということでした。

佐々木先生は、仏教の教理をきちっと検証されて、そのうえで現代の問題を扱って下さっています。

そのご姿勢にも深く敬意を表します。

 

横田南嶺

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