居場所
十八日は、「居場所をなくす喪失感」という題でした。
「新型コロナウイルス感染拡大による経済状況の悪化、失業率の上昇、先行き不安などで街が活気を失い人々がうっぷんを心の中にためてしまいがちだ」
と指摘されています。
「そうしたうっぷんが他者に向けられることも増えるだろう」
と警告されています。
更に、失業の問題に触れています。
海原先生は、
「失業というと金銭的援助の対象という印象もあるが、「仕事をする」ことはなりわいを得るだけではない。仕事によって、社会の一員となっているという思い、自分が誰かの役に立っているという思いが生まれる。
仕事を失うことは、社会の中の自分の居場所をなくす思いになり、その喪失感ははかりしれない」
と言っています。
折から知人にいただいた青山俊董老師の新著『さずかりの人生』を読んでいると、
「今も生涯を支えてくれる師の言葉」として、こんな言葉が紹介されていました。
五歳で寺にもらわれて、十五歳で得度された青山老師が、中学三年の卒業式の前日に、皆に別れを告げて修行道場へと旅立った時の事だそうです。
十五歳の女性にとって、黒髪を剃ることは大きな決意であったでしょう。
五キロの道を寺へと急ぐ青山老師を、後から「青山君」と呼び止める人がいました。
振り返ると、社会科担当の三村という先生でした。三村先生は会津八一に師事された歌人でもあったそうです。
その三村先生が、
「君にどうしても言いたいことがあって、追いかけてきた。
今の日本(終戦直後の混乱期)は元寇で大揺れに揺れた鎌倉時代に似ている。
あのとき道元、親鸞、日蓮というような方々が出て、人々の精神の支柱となり日本を救ってくれた。今の日本で一番必要なものは真実の宗教者だ。
真実の宗教の力によってしか今の日本を救うことはできない。
そういうときに君が出家してくれるということは本当に嬉しいことだ、
僕は心から賛成する。頑張ってくれたまえ」
と言って手を握って激励してくれたそうなのです。
今の日本にとって、自分が必要とされている、その思いが、後年立派な禅僧になられた青山老師の原動力になったのでしょう。
本当に誰かに必要とされているこということは大きな力になります。
必要とされるように努力することが大事です。
それと同じく、私自身も誰かを必要として、その思いを伝えてあげるということも大切でしょう。
そうすれば、その人も大きな力を得られるはずですから。
本日より、僧堂は雪安居に入ります。
雨安居のときには新型コロナウイルスに振り回されましたが、雪安居は静かに修行できます。
感染症に注意して、開講に山内の和尚様方をお招きして御斎を出す行事は省略させてもらっています。
静かに坐ることに集中したいと思っています。
こうして修行に励むことが、今の世の中にとって必要なことだと信じて坐ります。
横田南嶺