怨み無き
3、「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した」という思いを抱く人には、怨みはついに息むことがない。
4、「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。
5、実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。
特に、この第五番の句は、お釈迦様の教えの特徴をよく表すものとして知られています。
先の大戦の後、サンフランシスコ講和会議において、当時のスリランカの蔵相であったジャヤワルダナ氏が、この言葉を用いて、日本に対する賠償を放棄したという話は有名です。
また先日の日曜説教でもお話しましたが、円覚寺を開創された無学祖元禅師は、元寇の戦いで亡くなった兵士たちを、敵味方の区別なく供養されました。
「怨親平等」の精神であります。
先日寺務所で、『比叡寺報』という比叡山の新聞に目を通していました。
すると、
「鎮魂碑で殉難者四五〇回忌法要を営む 恩讐超えた「怨親平等の精神で」という見出しが目に入りました。
今年は、かの織田信長が、比叡山を焼き討ちしてから四五〇回忌となるそうなのです。
比叡山では、天海僧正の三五〇回忌の時に、焼き討ちの犠牲になった多くの方の鎮魂供養のために、「平和の塔 元亀兵乱殉難者鎮魂塚」というのが建てられたそうです。
当時の天台座主、山田恵諦猊下が
「悪人も善人になり、善人もときに悪人になる、この世に完全な善悪はあり得ない」とのお考えのもとに、「怨親平等」の思いで、それまでなされていなかった織田信長の鎮魂供養の塔を建てたというのです。
山田座主は
「ひとつの因縁ができたのに、それに気づかず通り過ごすのと、気づいて用いるのとでは結果は大いに違ってくるのです。
改めてお釈迦様の教えの素晴らしさを思います。
良き縁を結ばせてもらえたと自覚できたならば、怨念の心が奥底に揺らぐことはなくなり、慈悲の念が生まれ、利他の働きができるようになる」と説かれたそうなのです。
その鎮魂塚の建立の中心となった小林隆彰師は、ご著書の中で、
「もし、信長の鉄槌がなかったにしても、必ず仏の戒めを受けていたはずである。
焼き討ちは、叡山の僧の心を入れ替えた。
物に酔い、権勢におもねっていた僧は去り、再び開祖のお心をとり戻そうとした僧が獅子奮迅に働いた。
山の規則を改め、修学に精進したのである」
と述べて、
「信長は後世の僧達にとって間違いなく一大善知識の一人であったと思うべき」というのであります。
比叡山の焼き討ちは、元亀2年9月12日(1571年9月30日)でしたので、今年は四五〇回忌になるのです。
この戦いで織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われていますが、それでも怨みに思うことなく、
信長をも含めて殉難者を皆悉く供養し、信長を一大善知識と言われる
叡山の高僧のお心の深さ、お慈悲の深さには、感服するばかりであります。
横田南嶺