捨
四無量心は、昨日の小欄にも記したように、四つの利他の心です。
慈は友愛の心、「悲は他者の苦しみに対する同情。喜は他者を幸福にする喜び、捨はすべてのとらわれを捨てること」と、中村元先生の『仏教語大辞典』に解説されています。
岩波の『仏教辞典』には、
「四つのはかりしれない利他(りた)の心。
慈(じ)(maitr)、
悲(ひ)(karu)、
喜(き)(mudit)、
捨(しゃ)(upek)
の四つをいい、これらの心を無量におこして、無量の人々を悟りに導くこと。
<慈>とは生けるものに楽を与えること、
<悲>とは苦を抜くこと、
<喜>とは他者の楽をねたまないこと、
<捨>とは好き嫌いによって差別しないことである」
と解説されています。
その中でも「捨」というのが難しいものです。
それに「捨」というのがなぜ利他の心になるのか、理解し難いかもしれません。
しかし、利他の究極は、まさにこの「捨」にあります。
「捨」は、岩波の『仏教辞典』には「無関心、心の平静、心が平等で苦楽に傾かないこと」と解説があります。
中村先生の『仏教語大辞典』には、たくさんの項目で説明されています。
総てを書くと煩雑になるので、いくつか参考になるのをあげてみます。
「心の平静、心が平等でざわつかぬこと。心を暗く沈んだ状態や、病的に昂奮した状態から離れさせ、平等な平安な状態にする作用。
かたよらぬこと、人に対して平等であること」
などの意味が説かれています。
この中で「心を暗く沈んだ状態や、病的に昂奮した状態から離れさせ、平等な平安な状態にする作用」が四無量心の「捨」として説かれます。
心が平静で、ざわつかず、誰に対しても平等であることというのは、利他の究極だと思います。
映画『男はつらいよ』に、柴又帝釈天の御前さま(住職)が出て来ます。
笠智衆さんが演じておられました。
御前様は、寅さんに対して特別に何かするわけでもないのです。
しかし、寅さんが、いつ帰ってきても、平静な心で穏やかに迎えてくれます。
まったく平等なのです。
辛い時も嬉しい時も、どんな時にも変わらずに穏やかに迎えてくれるのです。
こういう存在に、私たちは一番癒やされるのだと思います。
ですから、四無量心の中で、「慈」も「悲」も「喜」も大切ですが、究極は「捨」であって、自分に対するとらわれを離れて、
いつも静かに平等な心でいることが、一番相手に安らぎを与えることが出来るのだと受けとめています。
先代の管長であった足立大進老師は、この笠智衆さんのことを高く評価されていました。
お葬式におりにはわざわざ焼香に出向かれていたほどでした。ちょうど私が修行僧としてお伴をしたことを覚えています。
そのお伴をしていた道中で、足立老師は私に、「お坊さんといいうのはな、映画の『男はつらいよ』に出てくる御前さんのようなのが理想だよ」と言われたことがありました
「捨」について、そんなことを思い起こしていました。
横田南嶺