icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.06.17 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2020.09.29
今日の言葉

ただ立っているだけ

毎朝、新聞を開くというのは、それだけで幸せを感じる時であります。

毎日新聞は、万能川柳がおもしろいのです。

二十八日の朝刊には、

曾孫(ひいまご)の三千グラムの大欠伸

という句が目にとまりました。

小さな赤ん坊が、すくすく育ちながら、天地いっぱいの大欠伸をしているという情景であります。

こちらまで、大きな伸びをしたくなってきます。

「毎日歌壇」も興味深いものです。

二十八日は、こんな一首がありました。

海水温あげてサンマは遠ざけて豪雨・台風呼び寄せており

というのであります。

主語がありませんが、当然お互い、私たち一人一人であります。

語呂がいいので心地よい一首ですが、ハッとさせられ、深く考えさせられます。

同じ日の「毎日俳壇」には、

立ってゐるだけの案山子で終わりけり

の一句が目にとまりました。

選者の評には、「案山子はなにもしなかったというのではなく、その労をねぎらっているのではないか」と書かれていました。

この句をみると、私は唐代の禅僧、保唐寺無住禅師を思い起こします。

無住禅師は、私たちが学んでいる臨済禅のもととなる馬祖の教えに、大きな影響を与えた方です。

この無住禅師という方は、礼拝も懺悔も念誦も許さず、ただ空しく閑坐するのみであったといいます。

「総てなさず、只没(しも)に茫たるのみ」といって、なにもせず、ただぼうっとしているだけだったというのです。

ぼうっとしているようで、同時に活鱍鱍といって、生き生きしているのです。

いつも生き生きとしていて、いつ如何なる時でも、禅でない時がないというのです。

そんな無住禅師が譬えを用いて説法されています。

原文は『歴代法宝記』という漢文の書物ですが、小川隆先生の、分かりやすい現代語訳を参照してみます。『禅思想史講義』(春秋社)から引用させていただきます。

それがしが一つ、例え話をして進ぜよう
とある一人の男が、小高い丘のうえに立っておった。
そこへ、三人の男が連れだって通りかかる。

遠くに人が立っているのを見て、三人は口々に言い出した。
「あのお人は、家畜を見失のうたのであろう」
「いや、連れとはぐれたのだ」
「いや、いや、風にあたって涼んでおるのだ」
こうなると、言い争いになって収拾がつかぬ。
それで近づいて行って、当の本人にたずねてみた。
「家畜を見失われたので?」
「いや」
「では、連れのお方とおはぐれに?」
「べつに」
「なら、風にあたって涼んでおいでで?」
「ちがう」
「はて、そのどれでもないとなると、こんな高いところで、いったい何の為に立っておいでで?」
「只没に立つ――うむ、ただ、立っておるのだ」

というのです。

小川先生の手にかかると、難しい漢文も実に分かりやすい訳となります。本来はこのような生き生きとした会話なのでしょう。

「いかなる意義にも目的にも結びつけられず、「只没(ただ)」そうあること、「只没(ただ)」そうすること、それだけです」と小川先生は解説されています。

この無住禅師は「無念」であることを説きました。「残念無念」の無念ではありません。

小川先生の解説によれば、

「「無念」であることは、実際にはあらゆることを「只没(ただ)」やるのみであるほかありません。……

すべてを「只没(ただ)」やるとき、あらゆる行為はおのずと「活鱍鱍」となり「一切時中総て是れ禅」ということになるのでしょう」ということなのです。

「ただ立っているのだ」

という言葉には、理屈を超えて何か清々しさを感じます。

あれこれと意義や理論を付けたくなるのがお互いですが、「ただ立つ」それでいいのだと思うと爽やかな気持ちになります。

ですから、坐る時には、ただ坐る、ご飯を食べる時にはただ食べる、歩く時にはただ歩くのみ、そんな処にこそ本来の禅が生き生きとしていたのでしょう。

それがどうも作法や何かと煩わしくなってしまいました。
 

横田南嶺

ただ立っているだけ

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(88)
  • 掲示板 (今月の詩)(31)
  • 今日の言葉(2112)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ