八朔ー田の実
田中先生の記事にはいつも学ばされることが多いのです。
今回の題は、「八朔」です。
八朔というと、『広辞苑』には、
「旧暦8月朔日(ついたち)のこと。この日、贈答をして祝う習俗がある。秋」という解説があります。
そのほかに
「ミカンの一品種。ブンタンと他の柑橘かんきつ類との交配種。甘ずっぱく、風味良好」という、おなじみのミカンの説明もあります。
私なども、八朔は八月一日の事と思っていますので、この九月の半ばに、なぜ八朔という題なのかと不思議に思いました。
読んで見ると、
「今年の9月17日は旧暦の8月1日である」
というのでした。
旧暦ということを普段忘れがちになっています。
八朔というと、私は建仁寺で修行していた頃、八月一日に、山内の和尚様方が、管長様のところに夏のご挨拶にゆくことを、「八朔問候」と言っていたことを思い出します。
管長様に皆が敬意を表する、うるわしい風習だと感じていました。
田中先生の記事によれば、八朔の儀礼は江戸の吉原の遊郭の行事の中にもあったそうです。
しかし、そのもとをたどれば、
「武家では八朔の日に大名や旗本が白い帷子(かたびら)を着て登城し、将軍に祝辞を述べる行事が行われたからだ」
というのです。
これは、「徳川家康が1590年8月1日に江戸城に入った、とされているからである。いわば江戸徳川の誕生日のようなものだろう」
というのですから、なるほど古くから行われていることだと知りました。
しかし、その起源は更に古く、家康が八月一日に入場したというのも、
「 8月1日はすでに鎌倉時代から「憑(たのみ)」と称する互いに贈答をする行事が武家にあったので、この日に入城したことにしたのだった」
と田中先生は指摘されています。
そして「「憑」は「田の実の節句」という農村行事が起源だ」
と言われます。
「田の実」を『広辞苑』で調べてみると、
「①田にみのった稲の実。
②陰暦8月朔日ついたちに新穀を贈答して祝った民間行事。田の実すなわち稲のみのりを祝う意から起こるという」
と説明されていました。
八月一日のご挨拶は、稲のみのりを祝う儀式から来ているというのです。
そう考えてみると、これはやはり旧暦でないと合いません。
田中先生も、
「この時期、早稲の実がつく。稲の初穂を神に献じるところや、作柄をほめてまわる予祝儀礼、米粉で馬を作るなど、さまざまな田の祭りがあった」
と書かれています。
こういうことが、「日本の贈答習慣の起源かもしれない」と田中先生は指摘されていますが、きっとそうなのだろうと思いました。
最後に「それにしても、季節や作物とともにあった多くの年中行事が忘れ去られている。とても残念だ」
と結ばれています。
そういえば、鎌倉では鶴ヶ岡八幡宮の例大祭が、毎年九月十五日に行われていることを思い出しました。
天地の恵みの中でお互いが生かされています。そのことに感謝する気持ちは大切であります。
八月一日の儀礼も、旧暦では稲のみのりに感謝することから起こっているのだと学ぶことができました。感謝であります。
横田南嶺