打たれてけっこう
今回も対談というよりも、こちらが聞き手で、専ら先生のお話を聴くというものであります。
やがて、公開されることとなります。今しばらくお待ち願います。
小川先生は、今や禅語録の研究では第一人者でいらっしゃいます。
私も五年ほど前から、毎月一回東京湯島の麟祥院で、和尚さんたちだけの勉強会を開いて、小川先生に講師を務めていただいています。
ただこの麟祥院での勉強会も、コロナ禍のご多分にもれず、三月より休会のままであります。まだ再開の目途はたっていません。
小川先生とは、いろんな話を拝聴してきていましたが、今回の対談で、小川先生が禅というものに関心をもった一番の最初は何かというと、マンガ「巨人の星」であったということを知りました。
小川先生は私より三歳年上で、学年では四年上になりますが、ほぼ同世代であります。
私などの子どもの頃には、巨人の星が人気でした。
小川先生は、その巨人の星のことを随分詳しくお話くださいました。
主人公の星飛雄馬は、速球を投げコントロールもすぐれているのですが、どうしても打たれてしまい、悩んだ末に禅寺を訪ねて坐禅をするというのです。
私は子どもの頃、巨人の星は見た記憶がありますが、残念ながら坐禅の場面は覚えていません。
星飛雄馬は禅寺で坐禅しても、警策という棒で打たれてしまいます。
「打たれない様に打たれない様に」と頑張って坐るのですが、うまくゆきません。
そこで、ヒゲの老僧が現れてこう言いました。
「打たれまい、打たれまいとこりかたまった姿勢ほど、もろいものはない。
打たれてけっこう。
いや、もう一歩進んで、打ってもらおう。この心境を得た時、自ずと道も開けよう」
という意味の言葉だったのでした。
そのことが転機となって、新しい投球を開発してゆくというのでした。
小川先生も、そのときは単にマンガを見たというだけのことだったので、そこから深く禅に興味をもったわけではないのですが、印象に残っているとのことでした。
そんな話をしながら、日本に於いて禅というと、武道やスポーツの選手などがその技を極めて、そこで行き詰まり、新たな一歩を求めて参禅するという場合が多いという話をしました。
この話は、私たちが学ぶ馬祖の教えにも通じると思いました。
それまでの禅の修行では、心を対称的に観察して、心を散乱させないように調えることに意を注いでいました。
しかし、散乱しないようにしないようにとすればするほど、散乱してしまいます。
そこで、散乱してもよし、その散乱しようが、どうしようがその心がそのまま仏なのだという心境が開けたのだと思ったのでした。
ですから、この修行もまた、最初は一所懸命に心を調えて集中しようと努力して、その極まりの末に開けるものだと思ったのでした。
横田南嶺