今日の言葉
ご縁の不思議
毎月四国在住の方から、『こだま通信』という葉書を送っていただいています。
このところ、諸々の行事が行われないためか、私の毎月の日曜説教の話を取り上げてくださっています。
有り難いことであります。
「仏法は障子の引き手、峰の松……」
あってもなくても良いように見えながら、そこに深い意味があるものです。
コロナ禍になって、ずっと以前に知っていたこの古歌を思い出し、今もこの古歌の言わんとするところを考え続けています。
不要不急と言われながら、不要不急なりに何かできることはないかと、毎日こんな拙い文章をつづり、YouTubeで配信を続けています。
先日も、遠方からわざわざ私にお礼を言いたいと言って見えた方がいらっしゃいました。
なんでも今年のはじめに、病気が見つかって手術をなされ、そのあとはコロナ禍になってしまい、気持ちが落ち込んでしまっているなか、管長侍者日記とYouTube円覚寺チャンネルが何よりの楽しみだと言ってくださっていました。
これがもしも無かったら、生きてこられなかったのではないかとまで、仰せになってくださっていました。
そんな言葉を頂戴しますと、こちらの方が感激してしまいました。
こだま通信にも私宛に、「管長のページで発信されている事が、多くの方々の生きる力となっていると確信しています」と書いてくださっていました。
直接お寺に来られなくても、直接お目にかかれなくても、ご縁が結ばれてゆく不思議を思います。
横田南嶺