icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.06.18 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2020.09.05
今日の言葉

生命は説くべからず

毎月滋賀県の高校教師をなさっている方から、『虹天』という冊子を送っていただいています。

毎月講師を招いて勉強会をして、その講演録を載せて送ってくれています。

さらにいつも手書きの葉書を入れてくれています。

親切な方ですし、よく毎月これだけのことをなさるなと感心しています。

今月の講演録には、コロナ禍における学校のあり方について書かれていました。

「カリキュラム・マネジメント」という言葉がありました。

これは、「今までやってきた学校のあり方をもう一度見直して、本当に意味があるものなのかどうかを考えて再構築する」というものだそうです。

「それほど効果や必要性がない仕事を思い込みでやっていることはないですか」と考えるというのです。

長年の習慣だといっても思い込みであったりすることがあるのでしょう。

我々の世界でも伝統だ、などと言いながら、意味のないことをただ思い込みでやっていることも少なくないように思います。

反省すべきであります。

それから、この『虹天』には、毎月新井奥邃先生の言葉を紹介してくれています。

私も新井奥邃先生の『聖言』を寺田一清先生から頂戴しています。

新井奥邃先生の言葉というのは、実に深いものなのです。

森信三先生も新井奥邃先生の影響を大きく受けておられます。

今月の『虹天』に紹介されていたのが、

「夫れ生命は知るべくして説くべからず。

纔に之れを説けば真と違ふ。

又生は感ずべくして知るべからず。

之れを期するは私智なり。無我と反す」

という言葉です。

田中隆裕先生の訳によれば、

「そもそも生命というものは知るべきものであって、人に説くべきではない。

わずかであってもこれを説くならば真理から離れていくものである。

また生は感じるべきものであり、頭で理解しようとしてはならない。

頭で理解しようとするのは、私欲があるからである。

これは無我と反することである」

というものです。

これは実にその通り、感服するばかりです。

頭で理解しようとすること自体が、私欲が混じっているのです。

自分の都合の良いように解釈して、分かって気になっているだけなのです。

無我と反するということは、真理から遠くなるということです。

わずかに説けば、真理から離れるとは実に至言です。

説けば説くほど遠ざかります。

というわけで、本日これ以上説くことはやめにします。

 

横田南嶺

生命は説くべからず

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(88)
  • 掲示板 (今月の詩)(31)
  • 今日の言葉(2113)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ