良寛さんと屏風
明くる朝、目を覚ましてあたりを見回すと、床のまわりを屏風で囲んでくれていました。
お家の方が隙間風を防いでこのように屏風で囲ってくれていたのでした。
良寛さんはその屏風を誰が書いた字なのかジッと見つめました。
ご覧になって、一言
「私が風邪を引いたのはこの屏風のせいじゃ」と。
さて、これはどういう訳でありましょうか。
森正隆先生の『ある日の良寛さま』にある話です。
話のもとは『良寛禅師奇話』にあります。
森先生も長い間、これは何のことか分からなかったと言います。
せっかく家の方が親切心を起こして、屏風で囲ってくれたのに、その屏風が風邪の原因だというのです。
それに、そもそも風邪を引いたから、山田家で休んでいたので、屏風で囲ってくれる前から風邪だったのです。
その理由を森先生もようやく分かったと書かれています。
それはこの屏風を書いた人物が問題なのでした。
書いたのは「巻弘齋」という方で、十九歳で江戸に出て、亀田鵬斎の門に学び、書法をよくした方です。
江戸で門戸を開くや、大勢のお弟子が集まったといいます。
ところが、森先生の解説によれば、この方「すこぶる自負心が強く、眼中に古今なく、空海の書も平気でけなしたという鼻持ちならぬ人物」だというのです。
それで、弘齋の書には、「当然てらいのような、自慢、高慢みたいなものがプンプン漂うていたんでしょう」と森先生は説かれます。
山田家のご好意はご好意として、こんな人物の書いた屏風で囲われていては、風邪を引くのも道理、治るものも治りはしないと痛烈な風刺を飛ばされたのであります。
穏やかな良寛さんですが、こんな厳しい一面もあるのです。
古来床の間にかける墨蹟は、禅僧のものを尊んできました。
それは、書法よりも、書いた禅僧の人格を尊んだのであります。
白隠禅師も二十三歳の頃に、伊予の松山におられて、城下の家によばれた折りに、その家の方が、ことのほか丁重に扱う墨蹟がありました。
どなたの書かと思って拝見すると大愚和尚の墨蹟でした。しかし書法としてはすぐれたものとは言いがたいのです。
そこで白隠禅師も、書は上手下手というよりも、その書いた方の人徳によるものだと思い、大いに修行に骨折るようになったという話があります。
床の間にかける書や、身近に飾るものでも、心しなければならないと思ったことであります。
横田南嶺