常不軽(じょうふきょう)菩薩
毎月一回東慶寺を会場にして、数人で学んでいるのです。
只今は、会場に集まることができず、リモートで行っています。
仏光国師のある日のお説法に、こういう言葉がありました。
仏教には、五千四十余巻と言われる大蔵経が伝わっています。
また八万四千の法門ありとも言われます。
すると、それらの経巻の中には、何万もの言葉があります。
その言葉の多さを、仏光国師は、百千も万も、百千億万も、はてはガンジス川の砂の数ほどのたくさんの言葉があると表現されています。
それどころか、百千万のガンジス川の砂の数ほどもあると言われます。
それほど膨大な言葉も、結局は一句にすることができると言うのであります。
どんな一句かと言えば、それは
「我敢て汝等を軽んぜず。
汝等皆當に作佛すべし」
という言葉というのであります。
これは法華経の常不軽菩薩品に出てくる言葉であります。
意味は、
「わたくしは、あなたがたを軽んじません。あなたがたは皆、仏になるのですから」
というものです。
法華経に常不軽菩薩という菩薩が出て来ます。
この菩薩は、相手が出家であれ在家であろうと、男であろうと女であろうと、だれにでも礼拝して、このように言われました。
「わたくしは、あなたがたを深く敬います。
あなたがたをけっして軽んじず、あなどることをいたしません。
あなたがたは皆、菩薩道を行じて仏になることができるのですから」と。
この菩薩は経典の読誦もせず、このようにただ礼拝の行だけをおこなっていました。
たとえ遠くに人々がいるのを見ても近づいて行っては、
「わたくしは、あなたがたを軽んじません。あなたがたは皆、仏になるのですから」と礼拝したのでした。
ところが人々のなかには、心が濁っていて、かえって怒る者もいました。
かれらは比丘に悪口を浴びせて、罵りました。
仏になるなどといい加減なことを言うな、そんな予言など信じられるかと言ったところです。
そうして罵られても、或いは石を投げられても、杖で打たれても、それでもなお逃げながらも、
「わたくしは、あなたがたを軽んじません。あなたがたは皆、仏になるのですから」と言っていたのです。
そこで、常に軽んぜずという名前がついたというのです。
一人一人を軽んじることなく、みな仏になるのですと言って拝む心、これこそが大乗仏教の精髄にほかなりません。
古来この言葉こそが、法華経の神髄であるとも言われています。
あの良寛さんも、この常不軽菩薩をこよなく敬われました。
「僧はただ万事はいらず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける」
と詠われたほどです。
こんな言葉を、仏光国師もまた、百千万億の経典の言葉を凝縮したものだと仰せになっていたのであります。
御開山仏光国師の慈悲心の深さに改めて敬服するばかりであります。
横田南嶺