法光
禅と「ふれあう心の季刊誌」と銘打っていますように、禅のこころをやさしく伝えてくれるものです。
臨済会とは、
「戦後世相なお混沌としていた昭和24年の秋、
東京を中心に臨済宗に所属する有志が集まって、
教化の実践面に新しい活動をしようという機運が熱し、
会が組織されることになった」
ということから発足した会であります。
松原泰道先生も草創期に関わっておられました。
私の師匠の小池心叟老師も長らく臨済会会長を務めておられました。
この頃は、私如き者も、そんな伝統ある季刊誌に寄稿させていただいています。
また来年の春彼岸号に私の文章を載せるために、取材に来ていただきました。
ただいまこの法光の編集を担当しているのが、浅草の金龍寺の住職、並木泰淳和尚であります。
並木泰淳和尚の御尊父のことはよく存じ上げていて、学識深い和尚で、いろいろとご教示いただいていました。
現住職でご子息の泰淳和尚とはここ数年来のご縁であります。
初めてお目にかかったのが、目白の駅でした。
私は学習院の坐禅会を終えて、駅のホームで電車を待っていると、たまたま声をかけていただいたのでした。
そのしばらく後に、野沢の龍雲寺のダンマトークを務めた折に、私の前講を泰淳和尚が務めてくれたのでした。
法話というのは、私は、その内容も大切でありますが、その明るさやリズム感が大事だと思っています。
泰淳和尚の法話は、謙虚な姿勢がうかがえて、そして雰囲気が明るく、リズムが良いので、すばらしい法話だなと思ったことでした。
そんな金龍寺の並木泰淳和尚が、わざわざお越しくださって、取材を受けました。
その折りに、申し上げたのですが、この法光の最新号の扉に、すばらしい文章があるのです。
あれは誰が書いたのですかと聞くと、泰淳和尚が書かれたとのことでした。
ご紹介します。
「秋彼岸
彼岸とは此岸(現実の迷いの世界)と川を隔てた向こう岸のことであり、悟りの世界を意味します。
私たちは人生で思うようにいかない事にぶつかると、身勝手に自分の都合の良いように判断し、その結果迷い苦しみながら生きています。
その迷いの中に隠されている、ものごとをありのままに受け入れて分け隔てなく他者に手を差し伸べることができる「仏心」を、私たちは皆生まれながらに具えていると禅では説きます。
「仏心」が必ずや自らにあると信じ、坐禅・作務や日常の生活を通して仏心を見出し、迷いから脱し自由闊達に生きる教えこそ臨済禅です。
春秋に一週間ずつの彼岸期間中は、仏法を聞き行いを正しくするために設けられています。
禅の教えを学び、みずから彼岸にいたる目的を成就する一助にし、またこの時期に先祖代々の霊魂をおまつりして、ご先祖様も彼岸に至らしめるとする良き縁といたしましょう」
という文章です。
簡潔によくまとめられています。
取材では、二時間ほどコロナ禍の今に思う事を、思いつくままに話をしました。
文才のある泰淳和尚がどのようにまとめてくれるか楽しみであります。
横田南嶺