とうとう「寺じまい」
毎日新聞八月三十日のコラム記事です。
実家の寺を解散したという元新聞記者の方の話です。
その方は、五人兄弟の三男、兄たちに寺を継ぐ気は無く、ご自身も高校を出てから地元には戻らなかったそうです。
お寺は、その方の父が亡くなってからは、無住となっていました。
そして檀家の方々によって維持されてきたそうです。
ところが、その檀家の方たちも「高齢化」によって、「力尽きる形」で同じ宗派の寺に吸収合併し、お墓はすべて市営霊園に移ることになったというのであります。
その方も三男として生まれながらも、何度も寺の後を継ぐことも考えたそうです。
寺の解散にあたり、寺の歴史をまとめて冊子を作られたとか。
寺じまいにあたって最後の法要と「お別れの会」が開かれたと書かれていました。
お別れ会のあとになってから、寺を訪ねるときれいな児童公園になっていたといいます。複雑な思いであったろうと察します。
「幼い頃には、大きなマツの木、墓地や山門の近くで遊びまわった日々を思い出す、…寺という空間の持つ、自由で、多様で、濃密な雰囲気が、いとおしい」と綴られています
コラム記事で記者は、「…これからは僧侶という職業に魅力がなければ、後継は途絶え寺は姿を消してゆく」と書かれています。
どんな寺であろうと、その寺を建てた開山さまの熱意があり、それをささえる信者さんたちの思いが結集していたのでありましょう。
年月が経て、そんな思いは薄らいでゆくのでありましょうか。
思えば、仏陀を生み出したシャカ族は、仏陀の生前には既に滅亡してしまいました。
インドの昔から考えれば、多くの寺が建てられては消えていったのでしょう。
かのナーランダには、大寺院がありました。
五世紀頃に創設された最大の仏教の学院でありました。学生は一万人以上、教師も千人を数えたといわれます。
玄奘三蔵もここで学んだのでした。
しかし十二世紀イスラム勢力のインド征服により完全に破壊されてしまいました。
この頃は、寺も後継者が不足していると言われます。
臨済宗でも修行道場で修行する僧が減っていると言われて久しいのです。
先だって、とある管長さまと話をしていたときに、
その老師は、修行道場に来る僧が減っているのは、単に修行が厳しいから避けているのではなく、
ひょっとしたら、あの沈みゆく船からねずみが消えるかのように、
若者たちは、もはや寺に将来を見いだせないからではないだろうかと
仰せになっていたことを思い出しました。
そうかもしれぬと思いながらも、まだまだ何とかならぬかと思いもするこの頃であります。
横田南嶺