まなざし
もともとは六月までの企画だったのですが、途中新型コロナウイルス感染症拡大の為に休館せざるを得ない時期もあったので、八月まで延期してくださったのでした。
おかげさまで、多くの方にご来場いただいたと、西澤孝一館長からお礼のお手紙を頂戴しました。
新型コロナウイルスの為に休館し、また開館しても、人の出入りは少なかったので、たいへんなことになったと思います。
困難であり、試練であります。
思えば、二月二十二日に記念館に講演に行った時に、雨が降りました。
あの講演を最後に、私はあれ以来半年講演を行っていません。
あの講演の時には、こんなことになろうとは思ってもみませんでした。
これから来る困難を、あの雨が教えてくれていたのだろうと今になって思います。
しかし、困難なことに遭っても、めげない力を与えてくれるのが真民詩であります。
西澤館長はじめスタッフの皆さんは、この半年よく耐えて頑張ってくれていたのだろうと心から手を合わせます。
私の好きな真民詩に、「受難」というのがあります。
受難
お手紙ありがとうございました
わたくしは受難には慣れております
八歳で父に別れてから
このことを知りました
そして次のことも知りました
いよいよのところでどなたかが
救いあげて下さるということも
それでわたくしは今日まで
生き堪えてきたのです
受難が受難でなく
それはいたらぬわたしの心を
ひらかせてくださる
大慈大悲であったと
受けとってゆくつもりです
けんめいに鳴いているこおろぎも
そのうち息たえてまいりましょう
できるだけ相手を責めずに
わたくしも一世を終わりたく思います
記念館では、この八月の末から、『坂村真民のまなざし』という特別展が開催されています。
ポスターやチラシには、「まなざし」という詩が載っています。
まなざし
まなざしを
変えない限り
戦争は起こり
平和は来ない
憎しみの心を
捨てない限り
争いは絶えなく
幸せは来ない
無差別平等の
宇宙のまなざしを持つ
新しい人間の
出現を祈ろう
という詩です。
まなざしという言葉を聞いて、森正隆さんを思い出しました。
森正隆さんは浄土真宗の和尚様でした。
あるところで、ご法話をなさって、そのあとの座談会で、とあるご婦人が質問されたそうです。
「仏法を聞かせていただきましたら、どのように変わるのでございましょうか」と。
難しい質問です。
森先生も、困惑されたそうなのですが、
とっさに森先生は、
「この問いは、まさに入門の問いであると同時に、一番奥深いところに通ずる大変重要な質問だと伺いました。それで私が今すぐここでお答えするのもなんですから、皆さんと一緒に考えてみようと思うんですが」と言って、しばらく話し合われたそうです。
いよいよ話し合いも済んで、皆の視線が森先生に集まります。
ここで一言答えないわけにはまいりません。
そのとき森先生は、
「仏法を聞かせていただいたなら、まず、その人のまなざしが変わるでしょう」と答えたそうなのです。
森先生は、
「仏様の心は、大いなる慈悲心だと教えられます。仏様の御眼を仏眼とい、慈眼ともいわれます。
夜となく昼となく、常に仏さまの大いなる慈悲のまなざしに見守られている私 – と気づかせていただければ、やがてこの私もおのずと慈眼にさせていただくのです」(森正隆『まなざしの譜』より)
と仰せになっています。
「まなざし」、深い言葉です。
慈悲のまなざしに見守られていると気づけば、こちらも慈悲のまなざしに変わるのであります。
横田南嶺