三十年
森先生の頃は、人生七十年くらいに思われていたようです。
しかし、森先生は、人生の正味は決して七十年あるものではないと仰せになっています。
森先生ほどの方であっても、人生に対して多少とも信念らしいものを持ち出してきたのが三十五歳あたりからで、それがはっきりしてきたのは、四十を一つ二つ越してからだと言います。
そうなると、人生に対する自覚が兆しだしてから三十年生きると、六十五、六になって七十歳に近くなるというのであります。
森先生の頃には、そのあたりが寿命だと思われていたのでした。
もっとも森先生ご自身は長生きなされて九十歳を越えられたのでした。
そこで、森先生は、
「人間が真に充実した歳月を三十年も生き得たとしたら、それで一応は十分」
と言われているのであります。
この一章を読んで、禅語にいう
「更に参ぜよ三十年」
という言葉を思い起こしました。
これは、趙州和尚が南泉和尚のもとで悟りを開いたことに対して、無門和尚が、趙州はたとい悟ったとしても、更に三十年参じることだと評したことに因っています。
たしかに趙州和尚という方は、十八歳くらいで悟りを開いて、それから更に師の南泉和尚のもとで四十年も修行を積まれました。
四十年師事して南泉和尚が亡くなり、その墓守をすること三年、六十歳になってから、更に二十年諸方の禅匠方を訪ねてまわり行脚して研鑽を積みます。
寺に住したのは八十歳、それから四十年寺で説法し、多くの人たちを導いて百二十歳で亡くなったのでした。
こんな方は特別でしょう。
古来、三十年とは一生涯を指すと言われていて、更に参ぜよ三十年と、生涯参禅し参究を怠るなということだと言われています。
折から、毎日新聞に「人生相談」というコラムがありまして、読んでいますと、「人は将来変わるか」という問題が扱われていました。
自分はいつも人から馬鹿にされてばかりで、人と接するのも嫌になったという二十代の青年が、自分のような者に対して、勉強もスポーツもできて人に好かれて充実している人もいる、人生は不平等なのかという問いでした。
答えていたのは落語家の立川談四楼さんで、まず人生は不平等だと答えています。
「いくら努力しても報われない人もいます。しかし報われた人で努力しなかった人もまたいないのです」と答えて、更に「深く屈する者ほど高く飛ぶ」という言葉を取り上げ、地道な努力の大切さを説かれていました。
落語家にしても、根っから明るく天職と思える人もいますが、そうでない理由の方も多いと書かれています。
「暗い性格を何とかしたかった」とか「吃音の矯正」のためという方もいらっしゃるそうです。
そこで、談四楼さんのお師匠さん立川談志師匠の言葉を紹介されていました。
談志師匠は天才肌と言われた方です。その師匠が
「一つのことを三十年やった奴にはかなわない」
と言われたというのです。
一つのことを十年二十年続けたら必ず人は何か変わる、何かが得られるというのでした。
「どうか一つのことに打ち込んでください」と「人生相談」は締めくくられていました。
三十年参じる、三十年打ち込む、そうすれば何かものになるのだ、森先生の言葉、趙州和尚の話、談志師匠の言葉に通底するものがあると思いました。
そうえいば私自身、禅ひとつに三十年以上打ち込んでいます。
ものになったかどうか分かりませんが、まだまだこれからだと思っています。
森先生の頃より寿命も長くなっていますので、今であれば、もう三十年よりもう少し頑張らねばならないのではないかと思います。
横田南嶺