山門施餓鬼
十六日は、本山の山門施餓鬼でした。
円覚寺の本山に墓地のある檀家さんたちをお招きして施餓鬼法要を行います。
例年ですと、円覚寺の塔頭の和尚様方も皆出頭して行うのですが、今年は本山の宗局の和尚さんのみで行いました。
お参りの方も例年よりも少なめに、十分に距離を取って参列していただきました。
たいへんだったのは、マスクをしてお経をあげることです。
お経も、例年よりも短くしたのですが、それでもマスクをしてお経をあげるのは息苦しいものであります。
そのように、例年より簡略して行いました。
大方丈を開け放って行いますので、換気は十分にできていますが、密にならないように注意しました。
行事を簡略するのに、まっ先に省略の対象となったのが、管長の法話でありました。
それでも法要の終わった後に、ほんのすこし短いお話を致しました。
その話を紹介します。
「例年、本山の総代さんのお宅には棚経に参っています。
円覚寺本山総代さんのお宅というと、過去帳にはご先祖の戒名がびっしりと書き込まれています。
江戸時代くらいから、たくさんの戒名がございます。
それを一つ一つ読み上げていると、お経の時間よりも戒名を読む時間の方が長いほどなのです。
それに比べますと、私の実家の過去帳などは、明治時代からしか書かれていません。七名の戒名があるだけですので、私は暗唱していて毎朝自室でお唱えしています。
それまで横浜で十手持ちだったのが、明治になって紀伊半島沖に沈んだ舟を引き上げる為に来たそうです。
舟を上げることができずに結局そのまま新宮に住むようになったのだと聞いています。
その頃からの戒名しか書かれていません。
しかし、それ以前にも私のご先祖はあるはずなのです。
直接顔を知っているのは祖父母や曾祖母までですが、会っていないけれども過去帳に載っているご先祖もいらっしゃいます。
更に過去帳にはないけれども、それ以前の横浜の頃にもご先祖はいらっしゃったはずなのです。
そう考えてみますと、私が直接知っているのほんのわずかで、顔も知らない名もしらないご先祖の方がはるかに多いのだと分かります。
目に見えるものはわずかで、目にも見えない、知りもしない多くのご先祖のおかげで今の命があるのだということです。
私たちは、往々にして自分で見たことがあり、知っていることだけがすべてだと思いがちですが、それはほんの一部分なのです。
見たこともない、知りもしないことの方がはるかに大きいのです。
そんな目に見えない、多くのご先祖のおかげで今の命があると思うと、生きているだけでありがたいと感謝の気持ちが湧いてきます。
ご恩返しに何をしなければという気持ちになるものです」
そんな短い話だけを申し上げたのでした。
そして最後に、まだ感染症は収まりそうにないのですが、必ずや、今の事などが思い出話になることが来るはずです、そういえばあの年のお盆は和尚さんたちもマスクしてお経をあげてて大変そうだったねという昔話になるときが必ず来ます。
それまで、慎重に用心しながら過ごしていただきたいと願います、と申し上げたのでした。
横田南嶺