華厳経浄行品
自ら佛に帰依したてまつる まさに願わくは、衆生とともに 大道を体解して、無上心を発さん。
自ら法に帰依したてまつる まさに願わくは、衆生とともに 深く経蔵に入って、智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる まさに願わくは、衆生とともに 大衆を統理して、一切無礙ならん。
という言葉です。
この三帰依文は、華厳経の浄行品に出てくることばです。
この三帰依文のあとには、いろんな行動をするときに、それぞれどんな思いで行うのか具体的に示してくれています。
「身をただして端坐するときは、なにものにもとらわれないようにしよう。
結跏趺坐するときは、道心堅固にして、不動の境地を得よう。
三味にはいったときは、それを徹底して究極の禅定に達しよう。
諸法を観察するときは、真実のすがたを見て、さわりやへだてのないようにしよう」
という修行の時の心構えが説かれていますが、それのみならず、日常の動作の一つ一つが修行として心すべきだと説かれています。
「衣服をつけるときは、もろもろの功徳をつける思いでつねにざんげしょう。
服をととのえ、帯をむすぶときは、仏道にはげむ心をあらたにしよう。
手に歯ブラシをとるときは、こころに正法を得て、自然にきよらかになろう。
大小便をもよおすときは、すべてのけがれをのぞき、むさぼり、いかり、愚痴の三毒を捨てよう。
水で手を洗ったときは、そのさっぱりした手で仏法を受けとろう。
口をすすいだときは、清浄な法門に向って、解脱を完成しよう。
道を行くときは、清浄な法界をふんで、心のさわりからはなれよう。
のぼる道を見ては、無上の道をのぼって、三界を超越しよう。
くだる道を見ては、へりくだって仏の深法にはいっていこう。
けわしい道を見ては、人生の悪道をすてて、邪見からはなれよう。
まっすぐな道を見ては、心を正直にして、いつわりからはなれよう。
大樹を見ては、争いの心をすてて、いかりやうらみからはなれよう。
高山を見ては、無上のさとりを目指して、仏法のいただきをきわめよう。
いばらを見ては、三毒のとげを抜いて、傷害の心をなくしよう」
服を着るときにも、ただ服を着るのではなくて、身だしなみをととのえて、仏道に励む心を新たにするようにと念じるのです。
歯を磨くときにも、身も心も清らかになることを思うのです。
大小便のときにも、大小便を出すように、三毒を捨て去るようにと念じるのです。
手を洗っても、汚れのないさっぱりとした手で、大切な教えを受け取ろうと思います。
今は、コロナ禍と言われる時ですから、「険しい道」「いばらの道」かもしれません。そんな時にも、邪見から離れ三毒のとげを抜くようにと心に念じます。
そうしますと、あらゆることをしていても、皆仏道になってゆきます。
こういう修行が下地になって、馬祖道一禅師の「平常心是れ道」へと展開していったのだろうと思います。
横田南嶺