眠ることも修行
華厳経の浄行品には、日常の暮らしの一つ一つについてその心構えが説かれています。
この内容についても、またいずれ紹介したいと思っていますが、その中に
「夕のねむりにつくときには、すべてのはたらきをやめ、心の動乱をはなれよう」
という一文があります。
これについて玉城康四郎先生は、
「睡眠というのは毎日やっていることですから、その心がけによって何年かたったら天地の開きがでてきます。」
と睡眠も重要性を示唆されています。
では、どのように眠るのがよいかというと、
「寝む時、つまり布団の中に入って、
今ここにいきづいている毘盧遮那仏
あるいは仏に一切をうち任せて、
ぐっすり眠りに入る」
ことだというのであります。
眠っている間は無意識ですので、自分で調整はできません。セルフコントロールがきかないのです。
しかし、仏さまに一切を任せて眠りに入ると、玉城先生は、
「セルフコントロールはきかないけれども、ブッダコントロールがおこってくる。仏がコントロールしてくれる」
と説かれています。
そうして毎晩毎晩繰り返していると、
「その心がけ一つで何年かたつうちには、自分の全人格体の上に大きな開きがでてきます」
というのです。
「念仏者は、南無阿弥陀仏を唱えながら眠りに入る。
…キリスト教の方は、ベッドにひざまづいて神に祈ってから床に入る。
禅行の人は仰向けにねたまま坐想に入る。
何もない人は、ともかく仏さまに打ちまかせればよい」
というのです。
そして「睡眠をとるということが、いかに重要な仏道の一つであるかということが知られる」と書かれています。
『天台小止観』には、「調五事」といって、五つを調えることが説かれています。
その五つとは、
「食事」
「睡眠」
「身体」
「呼吸」
「心」
です。
坐禅の説明では、身体と呼吸と心の三つを調えると説明されますが、その前に食事と睡眠を調えることが説かれているのです。
これは大事なことです。食事を調える、そして睡眠を調える、その上での坐禅なのです。
特に眠りは、一日の内のかなり長い時間を費やしますので、大事なことであります。
私は、最近川野泰周さんに教わったボディスキャン瞑想をして、眠りに入るようにしています。そして、すべてを仏さまにお任せする気持ちで行っています。
眠ることは単なる休むことではなくて、大事な仏道なのです。
横田南嶺