あるがまま、だいじょうぶ
阿さんの文章の次には、松本紹圭さんの文章を拝読しました。
松本さんも何度もお目にかかったことのある方であります。
この方に会うと感じるのは、なにせ頭脳明晰であるということです。
ですから説かれることは理路整然とされています。
松本さんの章のタイトルは、「遅かれ早かれ、みんな死ぬからだいじょうぶ」というドキッとするものです。
ドキッとしますものの、これは誰にも当てはまる真理でありますので反論はできません。
松本さんは、
「コロナの脅威に対して「正しく恐れることが大切」」
と説かれています。
「私たちの究極的な恐れは何でしょう」
問いかけておいて、自ら
「私は「死」だと思っています」
と答えを明示してくれています。
そして
「正しく恐れるということがあるとすれば、私たちは最初から「明日死ぬかも知れない」人生を生きていたのだということ、
「どちらにしろ遅かれ早かれ、皆死ぬ」運命にあるのだという認識を持つことから始まるのだろうと思っています」
と示してくれます。
更に、
「恐れなき世界は、強い人間になろうということではなくて、
そのままあるということです。
最近、『平常心』の話をよくします。
『平常心= へいじょうしん』というと、何も影響を受けずに変わらない心を保つイメージがあるかもしれません。
しかし、これは鎌倉・円覚寺の横田南嶺老師に教えていただいたのですが、
禅では『平常心=びょうじょうしん」と読み、
『あるがまま、そのままの心』を表すのだとか。
言い換えると、無理して強がって恐れる心に蓋をしようということでもなくて、
「不安なときは不安でいいじゃない」と肯定することが大事なんじゃないかと。
恐れる心も含めての『あるがまま』。
恐れることを恐れなくてよいのではないかと思います」
と説いてくださっています。
私の名前が載っていて驚きました。
別段この平常心という言葉の意味について、私は、この言葉を使われた馬祖道一禅師の解釈を紹介しただけのことなのです。
「恐れることを恐れなくてもよい」
ということは、かの盤珪禅師が
雷が怖くてしょうがないというご夫人に、驚いたらいいではないかと答えられたのと同じように感じました。
最後に
「読者の皆さんに改めてメッセージを」と求められて
松本さんは、
「こんな時こそ、『平常心=びょうじょうしん』を大切に。
あるがまま、そのまま。
不安なときは不安でいい。
恐れることを恐れないで。
遅かれ早かれ、みんな死にます。
だから、大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫」
と締めくくってくれています。
これは、いい話だと思って書き写した次第です。
さすが松本紹圭さん、いつもながら理路整然としたお説法で、深く納得であります。
横田南嶺