子供に学ぶ
『不安すぎてお坊さんに相談したら「大丈夫だよ」と言われた』という、「七人のお坊さん共著」の本であります。
頂戴した手紙には、
「新型コロナウイルスにより社会が一変し、先行きの見えない不安な日々が続きます。
このような状況下にあって僧侶としてどう行動すべきかと思い悩んでいたところ、浄土真宗瑞因寺ご住職の飯田正範師が発起人となって
クラウドファンディングによる緊急出版プロジェクトが立ち上がり…」
阿さんもその一員となられたようです。
本書は、「宗派を超えた個性豊かな七人の僧侶の七通りの「大丈夫」が詰まっています」と書かれている通り、和尚さん達の、今のこの時に何か伝えたいという思いが満ちています。
最初に、懇意にさせていただいている阿さんの文章から拝読しました。
阿さんは、お寺で幼稚園も運営されているので、子供の話が書かれていました。
感染状況が深刻になりはじめて、お寺の幼稚園も休園となったようです。
外出自粛が呼びかけられる中でも、子供たちは外で遊びたがります。
阿さんのお寺の境内にも子供たちがよく遊びにくるようになったそうです。
桜が満開の頃、花びらで境内がピンク色の絨毯が敷きつめたようになっていました。
すると、子供たちが、その花びらを集めて自転車のカゴに入れはじめたのでした。
カゴは編み目が粗いので、当然花びらは下から散ってゆきます。
それでもまた花びらをかき集めては入れるのだそうです。
しかも阿さんに「先生も手伝って」と言われました。
阿さんは「底が抜けているから全部落ちてしまうじゃない」と言いました。
すると子供たちは
「いいんだよ。ひらひら落ちていくんでいいんだよ」
と言って構わず続けていたそうです。
時折花びらが風で吹き飛ばされて子供たちの頭に舞い落ちたりすると、キャッキャッと笑って楽しんでいるというのです。
花びら舞い散る中、子供たちの無心に遊ぶ光景が目に浮かぶようです。
そんな様子をご覧になった阿さんは、
禅語の「雪を担って井を塡む」を思い出されたと書かれていました。
雪を担いできて井戸を一生懸命埋めようとする、でもすぐ溶けてしまう、それでもせっせと雪を投げ入れてゆくのです。
効率を考えないのです。鈴木大拙先生は、「無功用行」とよばれました。
私は、この子供の話を読んで、雪を担って井を塡むという禅語の味わいがより一層深まりました。
雪を担って井戸を埋めるというと、効率を考えずに、無駄を無駄と知りつつも敢えて骨を折り続けるのだと、何か力んで歯を食いしばって行くことのように受けとめていました。
しかしながら、そんなことではなく、いかにも楽しそうに、そのこと自体が喜びであり、楽しみであるかのように、軽やかに無心に営む様子なのであります。
コロナ禍にあって、どう生きるか、難しく考えずに、それこそ子供はそんな中でも軽やかに無心に遊んでいるのです。
そんな心を私はいつから失ったのか、もっと軽やかに楽しもうではないかと学ばされたのでした。
横田南嶺