今に心で
阿さんの文書を読み、よく存じ上げている松本紹圭さんの文章を読み終えて、それでもう私の存じ上げている方は無くなりました。
七人のお坊さんが執筆なさっていますが、私が存じ上げているのは二人のみでした。
そこで次には、この本を作成しようとした発起人であるという、浄土真宗の飯田正範さんの文章を読んでみました。
これは、さすがに自ら「このような状況下にあって僧侶としてどう行動すべきか、悩んで緊急出版を思い立たれた」というだけあって、読み応えのある内容です。
本を一冊だそうとするのはたいへんなことなのです。
私自身もこの時期に二冊出版していますが、「コロナの時代をこえて」など帯に書かれていますものの、内容はコロナ禍以前の話なのです。
この時期に感じたものをすぐに出版するというのは簡単なことではありません。
飯田さんは、まずはじめに
今回のコロナ渦をどのように捉えているかについて、
「正直、最初は私自身もとても不安でした」
と素直に書かれています。
親しみが持てます。
更に
「コロナがニュース、ワイドショーで多く報道されるようになって、自宅待機でずっとシャワーのように聞いてたらちょっとおかしくなってきたんですよね。
「これ情報にやられだしたみたい」な感じだったんです」と書かれています。
「世界が変わり出したというか、みんなの気持ちが変わり出しているのを自分が受信しちゃってて、自分の中で溢れ出してる状態にも感じました。
ある方から「今までが安定して大丈夫だった人こそやられてる」っていう話を聞いて、ホントだなと」
という不安から、どう逃れることができたのかをその後に書いてくださっています。
そこである体験談を披瀝してくださっています。
この話が素晴らしいのです。
「東日本大震災の二日後の三月一三日、
朝から散々たる現場の状況をテレビで観ていました。
この状況でわたしにできることは何かないのか?
何か役に立つことはないのか?と、
悶々と悩んでいました。
そして、何もできないわたしに気づいた。その時、ふと念仏を称えた。
そして、念仏に救われたのです。『南無阿弥陀仏』と」
その御念仏にどう救われたのかというと
「称えた時全ての事象は「自分がアタマの中で創り出したもの」であり、
そこを抜けると本当は『南無阿弥陀仏』の響きのみがあり、
何もないということがわかった」
というのです。これが「安心」というものでしょう。
更に「そこが『浄土』であり、
それこそが『阿弥陀様の救い』だと直感しました。
何も条件がない『イマココ』であると。
漢字で「今に心で念仏の念」です」
とこの章のタイトルでもある「イマにココロでだいじょうぶ」の内容に入ってきます。
「少し浮世離れした話かもしれませんが、この世の出来事の全ては、
「わたしの頭の中で勝手に想像し条件をつけて他と比べて評価しているだけ。
あるがままに観ることができないために不平不満を生んでいる」
ということには確実に気づけ、そこで開放されたのです」
というのであります。
禅の修行に於いても、「今、ここ」を大切にしています。
「今、ここ」に徹することを強調しています。
禅も念仏も、この「今、ここ」で通じているのだ感じることができました。
『不安すぎてお坊さんに相談したら「大丈夫だよ」と言われた』の一書、七人のお坊さんは1970年代から1980年代生まれの方々です(阿さんは60年代の終わりでありますが)。
お坊さんの世界では、若手の方々による良い本であります。
横田南嶺