菩提心
弥勒菩薩のところにゆくと、壮大な楼閣が見えました。
素晴らしい荘厳のまばゆいばかりの楼閣でした。
この楼閣を拝して、善財童子は一層諸仏を供養する心を強くしたのでした。
そこに弥勒菩薩が現れて、善財童子に、菩提心について説かれます。
菩提心とは、もともとは、悟り(菩提)を求める心、悟りを得たいと願う心などの意味です。
大乗仏教においては、特に利他を強調した求道心をいいます。
菩提心は大乗仏教の菩薩の唯一の心で、一切の誓願を達成させる威神力を持つとも『仏教辞典』には解説されています。
白隠禅師は、菩提心とは、上求菩提下化衆生の心だと説かれています。
道を求める心、多くの人々を救いたいと願う心のことを言うのです。
弥勒菩薩は善財童子に対して、
「良家の子よ。
菩提心は、たとえば人が万病に効く薬を得て、病悩から逃れるような効能があるものです。
たとえ欲望の炎が燃えさかっていても、菩提心をおこせば、焼かれることはありません。
良家の子よ。如来の家に生まれて菩提心をおこせば、一切世間の諸魔・眷族も害することはできません。
固い鋼の剣が軟鉄の鎖を断つように、菩提心の風は吹いて煩悩を除きます。
もし人が荒れた海で漂流しても、菩提心をおこせば溺れず、怪魚に害されることもありません。
菩薩大士もそれと同じです。
菩提心をもって生死の海に入れば、諸苦・煩悩に溺れることはありません」
と説かれています。
道を求めようとする心こそが、自分自身を導き、そして守ってくれるのです。
それほどまでに発心ということは尊いのであります。
逆を言えば、菩提心を失うと、欲望の炎に焼かれ、煩悩の海にも溺れてしまうことになるのでしょう。
一心に道を求めて旅をする善財童子の心こそが菩提心であり、それは菩提そのものであると言えます。
私達でいえば、よし坐禅しようと思う心、写経をしようと思う心、仏教を学ぼうと思う心こそが、自分自身をよき方向へと導いてくれるのであり、守ってくれるのです。
横田南嶺