一口法話
【一口法話】 第十二回 「終わりなき精進」
先日、五木寛之先生と横田管長との対談本「命ある限り歩き続ける」が出版されました。
一口法話ではこの対談にあたっての経緯やお互いの活動時間が真逆であるなどの裏話がございました。
そのなかでも五木寛之先生の「慈悲」についての解釈に横田管長は啓発されました。
慈悲の「悲」について
人の痛みや苦しみを自分が半分引き受けたいと思ってもそれはできないのですね。
どんな思いがあっても人の苦しみはその人の苦しみであってそれを半分自分が分けてもらって背負うことはできません。
では、どうすればいいかと言うと、無言のまま自分の無力感に打ちひしがれながらその人の隣に座って、じっと相手の顔を見ていることしかないんです。
その時のなんとも言えない無力感、ため息のことを慈悲の「悲」と言うのでしょう。
だから、悲というものは「共感する、共苦する」。
分けてもらうことはできないけれども、その人の痛みはよく自分の心に伝わっている。
だから共に痛み、共に苦しむ。
そうすると頑張れと言われなくても相手はこの人は自分の痛みや悲しみを分かってくれている。
という気持ちになるのではないか。
五木寛之
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