愛なくしては
月刊『致知』八月号は、特集「鈴木大拙に学ぶ人間学」であります。巻頭には、多年大拙先生の秘書を務められた岡村美穂子先生と、大拙先生とも直接のご縁の深い西村恵信先生との対談が掲載されています。
竹村牧男先生と私の対談も載せてもらっています。
その中に、駒澤大学が小川隆先生のたいへんにお忙しい中を取材に応じてくださったようで、「我が心の鈴木大拙」というテーマで「終わりなき未完の歩み」として玉稿を載せてくださっています。
短い文章ですが、実に深い内容であります。
はじめに小川先生は、
「大拙の思想は常に新しい。新しいというのは年表上での前後・新旧を指すのではありません。
本質を掘り下げた思想には、時代の惰性的思考の虚を突いて、いつでも人を原点に立ち返らせる力があるということではないでしょうか」
と短い言葉で、大拙の魅力を語ってくださっています。
そしてそのあとに
「二項対立を乗り越える道」という題をつけて、
「生命を創造するのは愛である。愛なくしては、生命はおのれを保持することができない。
今日の、憎悪と恐怖の、汚れた、息のつまるような雰囲気は、慈しみと四海同胞の精神の欠如によってもたらされたものと、自分は確信する。
この息苦しさは、人間社会というものが複雑遠大この上ない相互依存の網の目である、という事実の無自覚から起きていることは、言をまたない」
(『禅』/工藤澄子・訳)
という一文を紹介してくださっています。
これは、奇しくも小欄で、六月五日に「愛の関係網」として紹介した文と同じなのです。
こんな偶然もあるのかと驚いたことでした。
小川先生は、
「これは一九五八年のブリュッセル万国博覧会で大拙がスピーチした英文を日本語に訳したものです」
と紹介しながらも、
「しかし、大拙の言葉と知らずにこの一段を読めば、新型コロナウイルスが世界的に流行している現在の状況を述べたものと多くの方が思われるのではないでしょうか」
と指摘されています。
そして更に、
「今回のコロナ禍は人類共通の苦難のはずです。ところが、実際には、アメリカで黒人の感染率、死亡率が高く、白人警察による黒人の暴行死事件を契機にデモも広がっています。米中の摩擦も、悪化の一途を辿っている、これはまさに「慈しみと四海同胞の精神の欠如によってもたらされたもの」に他ならないでしょう」
と書いて下さっています。
この「愛」は、西洋の人向けに使われた言葉で、大拙は「大悲」という言葉で表現されることが多いと思います。
今僧堂で学んでいる『華厳経入法界品』にも
「菩薩たちは皆、大悲の法門に入って、大悲の門から十方におもむく。あるいは天界に行って神々を導き、あるいは水界におもむいて龍たちに法を説いた。
また、空中の精霊どもや地下の鬼神たちのところへ行った。
地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六道のどこにでも行ったのだが、かれらは祇園の林の世尊のもとから離れることは、けっしてなかった。
菩薩たちは大悲の門から十方におもむき、出家の僧の姿や神々の姿をとることもあった。また、医師・商人・職人の姿、都城の王や役人などの姿をとって人びとを導いたのだが、かれらは祇園の林の世尊のもとから離れることは、けっしてなかった」
という一節があります。
大拙先生のようなお方は、まさに菩薩が学者の身を通して大悲の心を具現されたのだと思うのであります。
この華厳の言葉の、どのようなところに行き、どのような姿をしようとも、世尊のもとから離れることはないというのは、大拙先生の即非の論理を思わせるものでもあります。
横田南嶺